歴史は学術的応用に関する技術革新とその敷衍により姿を変えて行く。産業水準が社会体制を築き、やがて文明の形相を変える。
だが、唯物史観が歴史の一面である事も疑えない。個々人の努力なしに学術の精錬もなく、その体制的展開もない。
人間の社会学は世界精神の担い手たる個人と、又彼らの置かれた環境との絶えざる相互作用のうちに見出されねばならない。言い換えれば、より高度の歴史認識には、ヘーゲル的精神史観とマルクス的唯物史観とは止揚さるべき訳だ。我々はこの新しい歴史観を名称して事件史観と呼ぼう。人類は事件の研究を通じて、歴史のより精密な理解に到達できるだろう。