2006年12月17日

文芸論

自らの文体に唯一の正解がない様に、他のいかなる語の文体にも同様に唯一解はありえない。では、我々はなぜ文法を習いうるのか、と考えるだろう。一つには前例を手本にするためである。だから、ある時代において最も質の高い文芸が、およそ未来の教科書となる。二つには創造の為だった。破格されざる文体はない。
 言語表現の妙は、新しい型を絶えずつくりつつ情報伝達の密度を向上させる事であり、我々が文明を緻密にするほど以上の命題は抽象という形式であらわれる。文学は主として、抽象表現を全人的に示す語法上の手本の役割を果たす。口語でさえ暫しここへ従うものだ。なぜなら記録されない音は破棄されるから。