少年は突然に、世界内に存在した。特別な中身があった訳では無い。平凡な両親が居て、普通の学校に通う、何のことはない小学生である。この少年は常世の間に揉まれて、育っていく。どこにも不思議は見当たらなかった。沢山の出来事が経過し、やがて彼は大人に成る。
青年は街を吹く風の中に空を斬った。美しく、逞しく膨れた二の腕には鞄を携え、夜闇の隙に一塵の灯りをみた。隆々と蜂起した魂は自在に知性を駆け、時代に役者として立つ。一介の君子は労働の為に、学術の為に生きた。そこには虚しさと充実とがあり、自由と絶望とがあった。
あかりはやがて展がり、周囲を隅なく浸した。女は妻として寝室の奥に一畳の余裕を許した。そして再び別の少年が現れた。
「何もおかしなところは無い」
大人となった青年はそれを何度となく旨とした。
毎日は単調で、いつか感覚を失わせる。朝が幾度来たかも知れないある夕べに彼は高い塔に登る。超高層ビルの頂点。街を見下ろすと、そこには数えきれない生活があった。色々に瞬く無数の光。彼の営んできた精一杯は、この巨大な構造物の欠片なのだ、と思う。そして自然に涙がこぼれる。彼は老人と呼ぶためにはもう充分に老衰していたから。
やがて少年は大人になり、老いていく。だがそこには美しいあらゆるもの、忌むべきなにもかもが入っている。まるでおもちゃ箱をひっくり返して戯れる子どものように、男は孤独な道の上を歩いていく。どんな理由もなく、何の目的もない。長く、多くの争いに満ちた一筋の競走を追う命。