人間社会に暮らす限り、永遠に桃源郷の余地はない。それでも芸術の士は不完全な世界を尚清らかに彩るが故に尊い。彼らは理想の作品中に尽き果てぬ夢を見る。そして可能ならぬ世界を願って死ぬ。
地球人類の無神経を気に病み、できうるかぎりの審美的治療を施し、世に披益する工物形態に解して発布する。悲しいことだが、誰もが彼らを敬う訳ではない。何故かなら、美術は自然体に相対する技巧であり、程度の差を催して人民の品格を問うからだ。豚には至極不潔な虫溜りが最高の居場所かも知れない。未来人には近代建築が兎小屋に観えるだろう。千差万別の趣きを呈して人知当然の品性を糾すのは個々人々別々の美学如何に由る。
こう考えて迄、ふと遠くに眺むる山岳の線を覚えた。斜めに切り込み端間に還り行く夕陽の温度が頬に仄か、暖かい。鈍行列車に揺られる独り旅。向かいの席に座る名も知らぬ老人はうつらうつら頚首を嚇して、残り大してもない時間をこうして不意に過ごし去る。青年は右手に軽く触れた飲み懸けの缶珈琲をかたん、かたんともてあそぶと風景がすっかり暮れた事に気づく。
今夜の宿は未だ決めてもない。先程から二つ向こうの座席に占めて要に本を捲る暇つぶしのらしき女子のある。荷物の大分ある。私と同じく独り旅なのだろう。
地方線に他ならず、乗客は殆ど在らぬ。目の前に爺さんが一任、遠くの方に高校の制服を纏う若造が一、後は私と女とだけ。そして時間は刻々と流れる。まるでゼノンの因律のままに。美意識は個別である。無粋たる老い先決して短くはないだろうが、目前の爺やには判らん。夜闇に更けた車内に逸そのこと暗黒が訪れはしないかと秘か案じながら近鉄線は走る。