2006年9月28日

草子

地上を幾重にも仕切る境界線、国境を乗り越えて、人心の襞を織り為す文章が在る。或いは誰が望まぬ共に、この一文がそうかも知れない。文学と時代が与える名称はこれを云った。
 人間の如何を問い、世界の秩序を触り、言の葉が華やかに散る様を丁寧に拾いあげる希有な順列。併しそうして構築された世界も、現象界の出来事と実際何ら相変わる事は無い。無形の本質は常に我々の内にのみ孕まれている。実存にではない。思念を絶えず再生成しては消費する情報処理機関としての自然知能に由来した反省的特性にだけ、理性は見つかる。
 文芸も又然り。混沌と膨張し続ける大迂の漸進が、事物の間に一定普遍のさだめを流し尽す際に、あわれを憶えて彩の組み合わせに心象を記録する仕事が構想される。嘗て沢山の学士がその召命を果たして来た。止まれ今日の僕も彼等の一因であり、根拠の存さぬ仮面を截って人類の儚きを滔々語り、待たれぬ時の畳みに情状の様を折り込む。先代風に文法を踏み、型を僅かながら破格した厳かな新種の一行を遺して後代の参照に付す。虚心は夢中に舞って遊びの瞬を浸す。
 喚起される理想の凪が高尚の風景を塗り替えていく。