建築の具体的側面、乃ち都市は、言語芸術によってこそ補完されうるだろう。都市は生命体。或いは、可変する土壌。それは全体としては最も偉大な芸術仮設作品ではあるが、他方では活動のせいで決して完結し得ないことによって決して完成作品たり得ない。
作品とは、ある理念のもとに自立した形相であるからだ。自立していること、つまり流体でなく結晶体な事が芸術作品の歴史を組積しうる理由。でなければ、無際限な差異を伴った天分創造を系統づけることは不可能となる。そしてこの様な態度は原始的であり文化的ではない。
審美論が目指すべき方向は文明だから、審美史すなわち芸術史は、飽くまで作品の組積であるべき。都市は作品ではない。よって、都市は芸術史に属さない様な総体。それは無常観を撮す言語による写生以外の手法で、審美論に定着することはありえないと云っていい。
建築の都市空間との等価性は文脈のなかにある。建設に、ではない。