2006年8月6日

文明論

文明は単に、種内競争の合理化ではないのか。仮にそうだとすれば、君の生きる理由は競争を合理に則って改良する経過にある。つまり、それは生存競争を繁栄効率の為に改善する体系。
 何れにせよ、地球で天敵を失くする迄に繁殖した人類が、環境の再創造に従って人生の次元を理想化するのは免れえない。その結果が文明化に他ならない。
 もし人生の側面が時代に応じて温厚化・安寧化・精神化していくものだとすれば、それが文明の方角だから。しかしかつて勃興滅亡して行った幾多の文明での実存群がそうであったように、近代科学に基づいた近代文明は相対的で、そこに生きる自らをもそう見なす他ないだろう。
 近代文明は自然資源を加工利用する生産手段の技術的進歩に依存して来たものであり、根本にまで解釈すれば発電用熱機関の資源転換効率に言及しえる。個々の実存群はそれを受ける社相の変容に従って動く。もし自由なる概念が歴史上に存在するなら当時の社相を泳ぐ仕方にのみ原理づけ得る。