社会的工夫による「種内競争の中庸化」はあらゆる時代の命題である。
競争が激化すれば人々は利益に依りて冷淡になり、
それが無憂になれば腑抜けになる。
他方で、
競争の激穏は生産手段の発展力を伴わせるものであるから、
共産主義的軽視に従って無競争の非階級社会を指向すれば発展そのものが停止する。
[国際surviveの現状を思えば20世紀後半から21世紀初頭にかけての自由主義は必要なのだと知れ]
先ず社会にとって自由競争は、生産力発展の方法なのである。目的ではない。
然らば、情勢を観て、その国における利益に拠りて発展を志向する際には自由主義を、
多分に安楽に居し、生活の高尚向上を思念せねばならぬ際には全体主義を、
一時の理念として「稼動的に」採用す可きはずである。
則ち、社会組織の善導に必要なのは競争中庸の方便であり、究極の目的は文明にある。