重力その他自然的な力に対して、皮膜によって内空間を保護する事は、建築計画の地球的基礎であった。欧米型の近代建築がかような反自然の理性の元に推進されて来たのは事実であり、ガウディのような自然体を目指す特異な例外はあるとしてもそれは多少あれ地域主義的な考え方であった。西洋建築は組積造による構造的制約からの計画自体の漸近的な解放によって、近代建築の軸組み構造という考えに到達した。従って、現代における壁の表現をも西洋建築史実上、取り敢えずは肌と見なす。
現代棟梁は近代建築を相対化する視座に立たねばならない。たとえば計画の中に適度な環境を呼び込む事が、日本文化圏では最大の命題であった。それは温帯モンスーン気候に対する適応的な態度であり、木造による柱梁構造は生活空間中の通風の最優先に従って確立された。
木造の方法は凡そ、朝鮮半島を経由して中国大陸から輸入された。それを国風的応用に迄純化していく経過がある。
結果、獲得された様式は通風を中心に、自然への親和の為に最適化された別の軸組み構造の体系ではあった。日本建築における近代化は、西洋化に等しかった。だから突如現れた壁の使用法に対する混乱によって、日本の柱梁構造に対する壁は二種類の企図を辿る。
一つは組積を模した構造的な自立壁であり、もう1つは紙の壁の概念を引き継ぐ計画用の皮膜のバリエーションである。日本建築、日本における近代建築の型は、三者すなわち自立壁と柱梁と皮膜の間でとりかわされる社会的創造および環境適応の為の試行錯誤の過程なのだ。
一方で、重力への合理的反立は常に、地上に建設される空間にとっての第一命令である。その力学的応法の基本は鉛直力と水平力への抵抗にある。純ラーメンは水平力に対する常なる不安にある。従って、鉛直力を受ける柱と、水平力を受ける壁との適度な組み合わせによる第三の様式柱壁構造が現代建築の様式にとっては最も合理的型であると知れる。コンクリートの圧縮強度とスチールの引っ張り強度との特性を最良に生かすのが正しい。また、西洋から輸入した壁という要素を伴う近代建築を国風化するには、通風に対する配慮を再び最優先に用いた使用法が適当である。
もし以上を省みるならば、棟梁は日本建築が行き着くべき現代の方向性の概略を悟るだろう。