2006年7月3日

幸福論

普遍的な善さを求めて考えることは、自体が最高幸福へと人を高める一つの道。それは、人類を構成する生活の一部としての文明だ。しかし、善が実存から遊離して有り得ない以上、我々の実践理性的な思考は常に一定の方向性へと君を指揮しなくてはならない。それは哲学が地球的活動である事になりはしないか。近代文明はいずれにせよglobalだ。それは地上を充たす迄に進まない訳にはいかないし、実際に進んだ。人類の思索が脱構築的生物相対観を基礎にした暁には、善の区域は神化する。哲学は普遍の善を追究することで神格的理性を獲得していく途上にある。それは宇宙が産み落とした種に宿った宇宙性ではないのか。我々は我々自身を普遍化する先で、宇宙の目的へとより合理的に親和する。それは幸福なるものの実現ではないのか。