2006年6月7日

絶対善

最も普遍的な利他心が暴かれるならば、それは間違いなく人類を救済する思想ではあるだろう。Jesusの主張した博愛がここへ至る唯一の階段だと多くの人達に信じられてきた。だが我執渦巻く現実の野蛮な性の前でこの思想はあまりに高潔過ぎ、またあまりに迂遠すぎる。衆愚はこの理想を苟も個々の動物的な性愛にまで貶める。
 神という響きに象徴された至高性を示す抽象観念を借りて人類の啓蒙を図ったChristは偉大かも知れない。だが普遍的理性の云奥は生存欲求のegoisticな合理化と論理上変わらない。それは種内秩序を繁殖多様性に最適化する為の利他的方便を利己心の一部として正当視する理念にすぎない。ここに絶対善が知れる。
 全欲求から利他にとって最も合理的な行為を熟慮のうえ選択せよ。それが絶対善と呼ばれるべきものだ。人の間を効率よく生き抜く徳として。