とりもなおさず我々に異類間での生存競争からの一時的ゆとりを与えた猿と異なる部位がもし人間にありうるとすれば、それはしばしば子どもじみた態度として衆愚間では一蹴されがちな知的好奇心のなかにしか見いだされない。ならば人の人たる由縁を突き詰めていく者こそ進化の正道を行く万能人ならん。
不条理に面して自然状態に近しい人間社会一般の不平等性を怨み、弱小の地位を文明として高ましめ、同類間競戯の活発化を図る偉聖によく首を垂れなければならぬ。彼の他に人の名実代表はおるまい。
神の遊戯の本性が生涯を於いて充分に追求されるならば必ずや理想は実現されよう。若しその桃源郷にとって必要があるならばこそ、地上の建設は何時とは無しに開始された。そして個別の生はそのような工事への自由であり、仕事である他ない。