2006年5月20日

社会学

命題:共産主義の錯誤を証明する。
 生産手段の社会的共有が共産主義の核心である。そうして搾取と不平等を無くそうという。だが人間自身には生来および学習による能力格差がある。これは我々が機械であるよりもっと生存競争を生き抜いた生物個体であるから。つまり人間社会では常にその生産力に対して適応した個体と失敗した個体がいる。例えば総じて仕事がdesk workならば、ある程度の知性と健全な耳鼻、徒歩程度の運動に適当な肉体的体力を持たない個体は普通、適応に失敗する。こうして様々な場合であらゆる個体に平等の仕事量を課すのは必ずや不可能である。例え如何に最適職種に分配しても、多少あれどこかに同じ能力格差は生じる。ならばそもそもの万人の平等な労働という事項は始めから挫折している。
 また、どんな政権の元でも生産手段は常に発展するだろう。人は学習し、応用するものだから。しかし共産体制下では成果は還元されない。即ち配分格差がなければ、あらゆる必要以上の努力は個人より先に、全体に対して配られる。ここには搾取がない代わりに、私腹もない。ならば一生懸命働かずとも安閑と怠惰に仕事をしても同じ成果が返ってくる。それでは頑張っても頑張らずとも、個人とは何の関係もない。即ち人は社会の機械になる。ここでは生産手段の開発も機械の運転の一部だから、創意工夫をこなす者はいなくなる。つまり学習し創造する者はいなくなる。これは人間が知的である限り矛盾である。故に、生産手段は常に発展しつづけねばならず、それには能力格差間の時々に応じた活躍による切磋琢磨が必要である。ならば成果の不平等な分配も報酬としてある程度認められなければならない。また生産手段は無競争な社会というよりは寧ろ多分に競戯し合う個人または競合の集団により所有されるべきである。
 よって、共産主義は錯誤である。文章始めの命題は証明された。QED.