愚者と知者がいるのは社会の常だが、両者を引き合わせるものは教育である。馬鹿を減らし、聖者を増やす事がその大義だ。単に浮浪を囲い込むだけでなく組織内部代謝の促進も図られねばならない。縁起した組織間の自由競戯を肯定し、相互向上の福利を目指すべき。最先端の実用教材を用いて社会を導くcommunity schoolという理念を含め、更に母体である市民産業社会の構成員が普く、個人の向学啓発を義務として認識できる世界でなければならない。教育の理想は絶えざる自己改革による文明活力の増進。そしてまた、あらゆる文明の究極の源はここにのみ見いだせるだろう。