2006年4月29日

文明

文明しか人類の目的が見当たらないとすれば。絶滅した恐竜たちは何を思いどんな生活をしていたのか知れない。それは我々の後に来る生き物にとっても同様だし、ならば、我々の生涯が同じ一過性の原理に則っていないと主張できうるのは理想主義者だけであろう。
 文明は我々のつくる人間的環境であり、それが他の生命にとっても有効であるという証拠が果たしてあるだろうか。もし無いなら、我々は利己主義を功利主義に引っ掛けて合理化しているだけではないのか。実際のところ、文明が脱人類的段階に飛躍するといった例があっただろうか。我々は絶えず考える葦として我々の環境を建設して来たし、凡そ人が生き物である限り、幸福の追求という方法を以て同じ様であるだろう。だから我々の文明が人間中心主義に基づくのは確かであり、それは我々の限界が肉体を有した思考である限り完全には逃れられない仮定であるだろう。
 こうして過去に有名な西洋あるいは東洋哲学についてであれ、この思考の宿命から逃れられていないのだ。我々には脱人間的に思考できない。
 文明思想の限界はここにある。尤も、文明の究極地点に於いては人間の相対観が根付くだろう。