君は無数の星明かりが照らす静かな湖畔に立っている。辺りに人影はない。獣の気配もない。自分は宇宙の自然と生まれたままで向き合ってある。
君は水のなかに入っていく。少しずつ少しずつ、まるで地球の命の退化をなぞらえるみたいに、穏やかに。水面下では星の瞬きが滲んで浮かんでいる。何匹もの魚たちが輝かしい鱗に覆われた身体をあちこちくねらせ、泳ぎ回っている。君は彼らの仲間になる。銀色の流線型になって、水のゆっくり流れるままに身を任せている。
やがて我々を包み込んでいる枠組みも壊れ散ってしまうだろう。分かってる。所詮、生き物たちは命ある星の欠片なのだから。いつか君は死ぬ。
見上げると月明かりが水面を白亜色に染めあげている。無数の波形が再生されては費やされ、消えていく。君の吐く息は薄い水色の球体となって遥か頭上にのぼっていく。君はずっと深い水の底へと潜っていく。美しい貝殻が話しかける。
「もし、そこのお魚さん。こんな遅くにどこまで行かれるのです」
私は深い場所へ潜っていきたいのだ。それが何処でも構わない。
「けれどそちらは向かったものの十人が十人、みな二度と帰らない闇雲の道ですよ。あっしは先祖代々数百年以上ここに居座ってるがよく見届けてたさ。お魚さん、悪いことは言わない。そっちへ泳ぐのはやめておきなさい。小さな貝殻からの忠告です」
私は死ににゆくのだ。生き返る為に泳ぐのではない。ただ、己の自由の欲するままに進むしかないのだ。
「おかわいそうに」
しはらく泳ぐと、辺りは何も見えなくなった。深海特有のツンと鼻をつく嫌な匂いがする。気圧が変わって耳障りな音がする。やがて地底が現れて来た。そこには見たこともない不気味な形で蠢く、尾ひれだけで出来たような真っ赤な魚や、あたかも容姿に気を使うのを一切諦めた様な海虫の類いがうようよしている。
君は何を求めてこんな遠くまで来たのだろう。植物は生きられず、酸素も殆ど届かない息苦しい地獄の沙汰を彷徨って、一体何を探しているんだ。やあ、やっと会えたね。僕だ。深海の底に棲まう者。君をずっと待っていたのさ。だってそうだろう。君は僕を見つける為にここまでえいこらやっとやって来た。私はあなたを探していたんだろうか。心の深海の底に沈んで、息の根を押し殺してじっと黙り込んでいた、本当の私を。そうさ。間違いないね。当たり前じゃないか。君は自由になりたいんだろう。君がいつかこの海の中心から去っていったときにもう、我らはきっと君は戻ってくるだろう、と悟っていたんだよ。だってそうじゃないか。どんなにうらぶれたいなかがつまらないとしても、果たして弱肉強食生存競争のない完全無欠の理想社会なんて一体、この宇宙のどこにあるってんだい。私はそれを探していた。それでも私は旅立った。そう。私は結局、長い、長い戦いの果てにまるで星々が退屈して待ちぼうけしているんじゃないか、と心配したくらいずっと長い時だった。生きるというのは競戯の繰り返しだとわかった。過ぎし日々振り返る度にかなしけり。何ぞ無量の睡蓮草花、君は星の地表を渉る爽やかな風の響きになってそんな華々が眩しく咲く、湖の面白き淵を滑って、隅なく眺めていく。いつかそこには違う君の形が現れて、きっと同じルートを辿って闇の奥底の者へ会いに行くのだ。と、もとの本には書いてあったそうだ。