2006年1月31日

未来経済論

資本経済とは知働による体働の階級支配経過で、搾取と恵与の史実だった。
それは大株主からfreeterまでの労働格差をもたらしたが、同時に工業化に従って物質社会を発展させた。
我々が信仰して懐疑しない「勤労の義務」はこのsystemに依存する栄典なのだ。

 もし現代経済人が真に賢くなればこの仕組みを情報社会型に、更に改良するだろう。
勤労は権利に鞍替えされるだろう。
人々は働く意義を「組織の改良」に見いだし、個人的充足に優先させるだろう。
その時こそ──経済社会の未来──我々は再び共産主義を宣言すべきではないのか。
つまり、人類はますます機械を奴隷化し、もっともっと精神を主人に置く経過にengageする事で我々自身の生活環境を改善して行く。
我々は世界の利益循環に対して神的になることで資本経済を究極する頭の良い支配者となり、恩恵を被る一市民となるだろう。
経済人の精神は有り余る富の恵与を工夫する術に昇華された時に、新しい経済形態は、とある国の内部から自然に高貴なる気風として発動するだろう。The noblesse oblige(高潔なる野蛮)は我々の内部で生き、我々の道の有りようを未だに照らし出している。