2005年11月17日

建築論

自分がなぜ何の為に建築するのか、その理由が最大事だ。計画された諸物はこの思想の代替品に過ぎない。だから、思想を鍛えよう。実作は飽くまでもその確認作業と見なさねばならない。
 もし君の思想が変われば実作も合わせて変わるだろう。けれども実作がどの様に変化しようとも建築家の心底にある諸形相を造出せしめる理念は不変だろう。建築家自身の考え方が全ての実作を指揮取る。つまり都市は究極的にこの様に出来る。
 建築する先に何を目指すのか、それが問題だ。建築物そのものは飽くまでも理想の身代わりに過ぎないと気がつかねばならない。
 建築し続ける先にある自然物と人工物との調和、即ち宇宙化という理想の具現を最も単純な形で現さねばならない。
 未来建築物の型を創世せねばならない。
 できる限り単純化すること。可能なだけ原理に忠実に基づくこと。自然物を意識的に造形要素として扱うこと。人工的なものと自然的なものを極限まで純粋な地点へ還元しなければ明確な解答は出せない。
 取るに足らない様々の表現と名作との決定的差異はある明晰さ、つまり解答の自律性にある。建築が芸術となり得るのはこの解答の判明さ故なのであり、素材の構成における統一化の意志である。
 建築は人間の巣である。と同時に自然と宇宙の理性的形態である。
 だからして均衡性や力動性の探求という造形芸術の文法に緻密に則りながらも環境としての責任を果たさねばならない。それは都市の文明化を通して世界秩序を理想化せしめんとする力である。
 私が建築する理由はこの様な合理的環境の建設にあるのだ。それは人間の生きる理由と同義である。