2005年11月12日

自分

人間に可能な限界としての神化を志す事は我々の使命に他ならない。なぜなら進化の方向性は種内競争の永遠の向上としての自己目的化に照準されてきたのだから。ここにおいて幸福追求の権利や万人平等の理念が正当化され得る。例えば社会建設における貢献度が成功と一般に呼び慣らすものの判断基準になるとすれば、最も広い意味で働くことはこの為に行われているのだ。人間という生命は自由を持つ機械であり、また宇宙を多かれ少なかれ自覚的に再創造するという点で精神的なのである。
 そして獣性の洗練化、活動の精神化即ち昇華という方法で我々は絶え間無く向上して行ける。
 というか、取りも直さず生きるという事実は向上の軌跡である。それは義務ですらあり、逃れ得ない拘束だ。結局、専ら堕落という事はあり得ない。人間にできたどの様な危害、兵器その他に拠る同士討ちも慈悲の想いを分かち得ないどんな動植物よりは、せめても尊いのだ。だから我々は向上を目指そう。明日は昨日の自分より良くなっている事、未来は過去よりも幸福になっていく事を信じ続けていよう。この様にして我々の普遍的自分は人間信仰、少なくとも精神のそれ以上にある。