2024年4月1日

校風と肩書の箔

平安文学批評の三大悪人、本居宣長、小林秀雄、そして茂木健一郎。うち最後の人は英語で紫式部の姦淫本を絶賛し、浮気性の悩みや友情裏切りによる自殺や、暴力を振るった教師を美化する俗話を書いた通俗新聞小説屋の夏目漱石をまたしつこく賛美していた。彼が芸術音痴で道徳的無能なのはいうまでもない。

 東大理学、法学やケンブリッジ院ロンダリング理学が文学や倫理学の理解度面では笊なのを茂木ほど雄弁に示すポンコツ原理主義者もそれなりに珍しい。彼は期せずして小僧根性の鬼になり、母校の名門面を完全に辱めている風に感じられるが、信者も欧米衆愚も終ぞ気づかない。彼らは品性が理解できないから。
 東大は江戸政府が主に朱子学を教えた昌平坂学問所を洋学の輸入学府へ改造したもの、ケンブリッジ大はオックスフォードから追い出された修道士の逃亡先だったが、どちらも卒業生の質が丸で担保されていない様子なのが観察できる事実であり、特に一般教養には極端な弱みがある。茂木はその校風の犠牲者だ。

 行く学校を間違えてはいけない。一生を棒に振る事になるのは、茂木だけの話ではないだろう。特に名門と考えられている学校の実態が伴わない時、肩書きに期待される能力とのズレは恥知らず達の不遜な欺きにも関わらず、符号のせいで却って当人を惨めにする。人は肩書きの箔が人物より薄い方が遥かに良い。