2023年8月13日

あばずれ女と貞女の業

不貞な女はあばずれて死ぬ。その際、宗教も何の役にも立たない。自らの業を他人が受けてはくれないからである。
 男を見る目がなく、不実な男を近づけ、誠実な男を退ける悪女には惨めな孤独死が待つ。意地のねじけた不貞な老婆を介護しようという奇特な善男は去ってしまい、悪男もその種のすれた老人を世話するかい性はないので、せめて友人だけでもいればいいが、悪徳の女を友人に持つ者もまた似た様なあばずれである以上、他人を苦労して介護するよりは自らの私利を優先してしまい、悪女自身は結局孤独のままでいるしかないからだ。

 善女は貞徳ゆえに尊ばれ、齢を寿がれる。その長命は美徳の象徴であり、清らかな手本として続く世代に敬意を持たれる。
 善女を異性として遇する者は決まって善男であり、仮に悪男が騙そうとしても善女はその悪徳ぶりを嫌悪する。これゆえ、善女の晩年に至って介護が必要になっても、既往の善業ゆえに世話を買って出る者がおり、真の孤独に陥りがたい。

 悪女と善女の大差をみて、業を知る者は、固く貞徳を守り、一時の気の迷いから身持ちを崩してはならない。一時の身の過ちすら生涯を通して破滅を招くのであり、もし悪男と交わってから善男の元へ走っても、決して元の鞘にもどれない。