長い間、僕は逡巡していた。あたかも、この世界には答えという答えがないかの様に。
ある時、僕は一人の人と出会った。ミキというこの女性は、なるほど特別な人だった。今日はこの人について語ろうと思う。けど、自分にとって余りに自明だし、自分が残した様々な記録のうち他のところで重複している点もあろうから、随分錯綜したり、省略したり、抽出した形になるかもしれないが、それは僕の都合だと読者には思ってほしい。要するにこの文書は、たまたま僕が書く気になったおぼえがきで、特段、計画されたものでも体系的な記録でもない。ただの心の断片といったしろものだ。
なんとなくではあるが、僕は随筆あるいは思い出話の様な形で、僕が経験した色々なできごとをとどめおくのがいま、必要におもえるのだ。それは芸術家としての直感のたぐいで、なぜそうしなければならないのかもまだ、定かではない。多分最後まで一連の文を読めば、なにが必要だったかが、みなにもわかることだろう。
さて、いざミキさんについて書きとめようとも、僕の心にある彼女の情報はあまりに膨大すぎるので、なにから書いていいのかまったくもってわからない。けれど、僕にいえるのは、少なくとも全人類の中で、彼女を最も深く理解し、あるいは彼女の家族やほかのある人物とは違った意味で、この上なく愛してきているのは間違いなく僕だろうという事実だ。その愛は、もはやことばでいいつくせないばかりに、さもなにもいいあらわさねば、他人にはなかったかのごとくに見える。でも、違うのだ。僕にいえることは、その愛は全宇宙よりも大きく、またあらゆる微粒子よりも細やかだ。
もし彼女が救われるなら、僕はいつでも犠牲になっていいと考えてきた。なるほど、その通りになったのだろう。自分はただひたすら歳をとり、彼女も年頃になって、ある事件にまきこまれた。とても語りづらい内容なので、彼女について十分いいきれるかはわからない。でももしできることなら、自分の随筆家としての才能の全幅を使って、彼女がどう愛すべき人なのか、僕は後世に伝えようと思うのだ。それが自分にできる、かけがえなく、真正面から、誰より愛する人への哀歌であり、今できる彼女の愛への最高の捧げ物だからなのだろう、きっと。