私は徳川慶喜公をこれまで散々支援してきた。それは彼が徳高き君主だったからだ。恐らく慶喜公が私を天国からご覧になっていたら、その涙ぐましい努力について必ず認めてくれると信じる。
だが、今の末裔の方と暫くお話する機会を得て、私はある事に悟った。
もう彼の徳は失われてしまったのだった。
慶喜公はいわばこの世に現れた奇跡で、彼は烈公に至る水戸家の哲学の結晶体だった。彼より徳の高い君主は恐らく今後も、この世に現れないだろう。リーズデイル男爵が「もし貴族がいるなら彼こそまことの貴族」、そして「惜しむらくは、彼は時代錯誤の人だったのだ」と述べたのは、真を穿った事だった。
永遠に失われた徳はもう帰ってこない。ただその残照を仰げるだけだ。慶喜公の末裔の方には、当然とはいえ、残念ながら彼の徳の名残りのかけらしかなく、ただ残り香のごく一部が感じられるだけだった。血筋の残骸を除けば中身はもはや別物であり、それはあの水戸での厳しい教育がないので当然でもあった。
旧華族の人々というのは、それぞれに悲惨な末路を迎える。それは必然だ。彼らは実力によってではなく、制度上の家格によって、無用な資産を国から与えられていた。それは実力勝負の世界に立ってさえしまえば結局無能をさらすだけのもので、各々の家々の敗北の惨めさには、程度や加減があるだけだった。
もう旧華族に特権など与えられていない。そのため、各々じたばたとしながら最後には相続税の重さで窒息死していく。もともと資本家としての才能に恵まれていた人だったら商家として成っているのだから、天皇政府から親族のひいき目で与えられた特権を失ってしまえば、一気に転落するのはいうまでもない。旧華族らは、いわば天皇の親族だった。実際に、血縁を通してほとんど全員がおのおの近い親戚関係にいた。だから学習院ではお互いの家について学友として知っており、それらの連携は相乗効果の様に特権維持に使われていたらしい。
今では皇族利権が不正の温床と見なされ、マスコミの恰好の餌食になる。
私は今の慶喜公の末裔の方に精一杯、私の誠意を示して、君主への崇敬の念を伝えようとした。だがそれは不可能らしかった。末裔の方にはもはや「君臣の義」すら理解できない様で、かつて家臣との間にあったあの麗しい関係は、永遠に失われてしまったらしかった。ただの市井の人には家臣を養う動機もない。
私が悟ったのは、この「御恩と奉公」関係として、東国武士団が伝統としてきた政の形は、確かに旧君主と会話さえすれば一瞬で先祖返りするほど対話様式上の名残りがあるものの、時代が変わってしまい、もう同じ姿は再獲得できないのだという事だった。
天皇と国民の関係も同じなのだろう。
諸行無常は変わらぬ原理で、今あれほど隆盛を極めている様に表向きはみえる皇室の人々も、今の旧華族と同じ末路を辿るのは絶対に間違いない。ただ大きな建物であれば解体に手間がかかるだけなのだ。一気に爆破して壊されなかっただけに、いつまでもある様にみえるが、時代遅れの制度は続くべくもない。
人権や主権在民の原則は、明らかに天皇を中心とした国体の全体主義や、人種差別を中心教義とした神道より尊い。前者は色々な国々の人々との交流があるべき現代の常識で、後者はもう国盗り合戦式の時代遅れだ。頭が古い右翼は敗れ、自由の旗を掲げる左派が勝つ。
問題は皇室という旧体制の最終処理だ。旧華族の人々の連携に少々立ち入って様子見をして分かった事が数多ある。それらは或る種の運命共同体内での暗黙知なのでしくみを伺い知れるに過ぎないが、一言でいえば天皇を中心とした血縁身内びいき連携の互助組織になっているにすぎない。これは大変卑劣な排他的差別利権で、完全解体の必要がある。天皇は自分を中心として周囲の子飼いを増やし、彼らに信賞必罰の対処で恩顧を与えつつ、結局は自分に政治的資源を集めるよう命じているラスボスにほかならない。
一つだけ幸運なのは、この大魔王の互助組織はすべて利己主義者で埋められているので、全員が多かれ少なかれ共通の弱点を持っている事だ。「君子は義にさとり、小人は利にさとる」と孔子は『論語』でいうが、皇室互助組織こと旧華族連携は血の差別を通した純粋な排他的利権以外なんでもなく、すなわち「利」で繋がっている。だから「利」を否定する何らかのプログラムをハッキングで書き込んでしまえばこの連携には齟齬が生まれ、やがて自己解体する。自分は皇室互助組織の最終解体プログラムを既に、旧華族連携の一部に書き込んでおいた。いわば「義」のコードを。
もし順調にあのプログラムが機能し続ければ――といっても旧華族如きには読み取れない高度な暗号で書いたので、並の国体論者には読み取れないに違いないが――遅かれ早かれ、皇室も終わる。
私の書いた「義」コード解除方法は既にこの世から永久に葬ったので、あれが皇室互助組織の中で発動し続ける今の日本国体は、自動で完全な自己解体に向かって徐々に動きを始めている段階だ。
恐らく後世の人がこれを読めば何が起きたか把握している筈だ。私は会沢安の国体OSを新型にアップデートした。