2023年2月17日

自文化改良主義とそのあるべき学習対象について

原理的に、我々は自文化を改良する。それは文明化と呼ばれる作用だ。よって我々は何らかの事を学び、自文化に適用しなければならない。
 自分より秩序度が低い集団から学べる事は殆どない。寧ろ悪例になるばかりだ。
 賄賂五輪はじめ東京圏は倫理崩壊で終わっているが、海外は必ずしもそうでない。

 成田悠輔炎上時の現象は、明らかに倫理面で海外の民度、殊に英語圏のそれの方が、東京圏より遥かに高い事を完全に証明した。勿論すべての面に適用できるかは確定できないが一般的に、我々の茨城県と同等以上の民度を持っているのは英語圏だ。私は半年前に『成田悠輔初動征伐論』をYouTubeに挙げていた。
 だが日本語圏では無反応だった。それは日本の人々が一般に、恐らく自分の発した倫理的警告の意味がわからなかったからだろう。その後、半年の間、日本政府まで徐々に成田を使う方向を歩んでいた。衆愚な東京圏には一般に、何の倫理観も期待できない。
 これらが意味するのは、我々は東京圏を一般に反面教師には使えるものの、飽くまでその衆愚社会を避けるべき悪例にし、代わりに、我々より優れた面をもつと認められる別の文化圏から学ぶに足るという事だ。東京を優れた文化圏とみる集団、例えば西日本、中部や北海道などはそこより民度が低いのである。