2023年1月28日

科学者と芸術家の脳の特徴差

「科学的である」という事は、誰がやっても同じ答えを出せる、という事だ。それは自然へはただの物質の理解だし、生物や社会へも静的で客観的な対象の理解である。人については複数解を認め、各思想を答えと見なしている。
 条件次第で常に異なる答えが出る様な複雑さを、科学専門家は取り扱いづらい。所が我々芸術専攻者は通例、答えが常に異なる複雑さを取り扱うのが得意である。
 もし器用な画家に絵を描かせれば毎回違うパターンで描けるだろうし、詩人が毎回同じ事を同じ韻律で歌っていたら面白みも減る。
 我々の脳はこの点で単なる科学専門家とは違っている。それで彼らは我々を理解しづらい。

 芸術は作者の学歴で作品をみても分からないだろう。もし芸術が学べるとしても、独創性について全員が異なる学習経路をもつ筈だからだ。
 詩才とは特別な言葉遣いの個性である。その人の言語知能が単に或る向きにすぐれるだけでなく、彼らが言葉に特別な配置をみいだす為の学習自体が特殊だったのだ。

 尤もヴィンチ村のレオナルドのよう芸術でも才能を持ち、自然科学や解剖学、殊に工学にも貢献した多才な人物の場合、脳が芸術と科学どちらの適性も兼ね備えていた。自己教育で人は自分の知能を作り変えられるので、程あれ自分が望むステータスに近づける。

 科学研究と芸術創作は、違う規則の系である。