2022年4月5日

プールのほとり

僕が21歳だったかの頃、都内で生きていて、勝田という高校の同級生に誘われただかで、国立代々木競技場の地下にある温水プールへ泳ぎに行っていた。一緒に。その時の話だ。

 ちなみに勝田はでぶっちょで、僕は中肉中背であったわけで、勝田がダイエット兼ねていこうとしたのだろうと思われた。自分は運動自体は好きなので行ったのだろう。しかも建築を学んでいたわけで、代々木競技場の内部もみれるから行ったのだろう。

 僕はそのプールで、村上春樹の小説の主人公ぶってはいないにしても、ぷわぷわ浮かんでもないが、とかく泳いでいた。特に自分は休憩時間まで全力で泳いでいたが最初。途中からクロールだけじゃなくて平泳ぎで、疲れたらずっと泳ぎ続ける技を身に着ける事で、半無限に泳げるのがわかった。その途中で浮かんだりしていたと思う、天井を見つめたりして。してないか。

 で、そこにロシア人の女性ら、若い女性らだ。そういう人らが水着でいたんだけれども、なんらかのわけで運動にきてたんでしょうが、その人らをみた。同じプールの別のコースとかで泳いでいて。それで自分は悟った、種というものは幻想ではなくて実際に大幅にちがうんだなぁ感を。実際は人種とか種族という単位はない、ということになっている、現代の生物学では。人類は一つの種で互いに交配できるからだ。
 だが実際にロシア綺麗系の若い人の水着で立ってる姿とかをみてみたらいいと思うけれども、実物で。日本人の平均体型とは何から何までも違っていると言っていいほど違う。ヨークシャーテリアと柴犬もしくはチワワくらいで。

 それでうーんみたいな感じでプールサイドで彼女らの隣を通り過ぎていたら、「話しかけたら?」みたいに勝田がいったと思う。「なんで?」と僕は答えた様な気がしたが、おそらくそれは小説的作り話で、あとからよく思い出すと、事実は正確には「こわい(からやだ)」と答えた様にも思う。
 これは芥川龍之介の短編でいう『海のほとり』的短編を目指して書いているが、なのかもだが、これ以上書くことはないのかもしれない。だが、ここに記述したことは、なにかしら人類に示唆を与えるであろう。