未実現の資本益(未資本益)は、それを利確(利益確定)しないかぎり所得になるとは限らないし、最終的には資本益そのものがなくなるか、信用取引のとき却って投資額以上の損失になることもある。すなわち未資本益に課税した場合、「赤字(損失)へ課税する」という、資本主義の不可欠な動力機構の一角である投資自体を冷え込ませる要因が発生する。未資本益への課税で、およそすべての投資に於ける将来の利益の不確定さ、見通せなさのもとで、一般に意思決定に際した危険側が利益側より大きくなるからだ。
よって米バイデン政権の「未実現の資本益」への課税案(ビリオネア最低所得税)は、発案した者が単に利確のしくみに無知で、金融工学の根本的知識不足であるばかりか、米国資本主義の成長力を弱らせる自滅策だろう。
日米両国民内の所得格差を今の制度下よりへらしたければ、上記の訳で、利確後の実現資本益(実資本益)へのさらなる課税か、単に個人所得税をあげるべきだが、2022年3月時点では実資本益への課税は個人所得税と分かれている。なぜこの様な税制が用意されているかなら、一般に資本家は、実資本益が個人所得を直接得るより一定以上の投資額では税率が低い事を巧みに利用し、いわば蓄財の高速道路に乗ってその速さをしりながら利殖に詳しくない政府に一般道と分けた道を合法的に維持させているからだろう。よってこの蓄財法定速度を下げるには、実資本益への課税をなくし個人所得税に一元化したうえで、個人所得税の税率を上げるのが所得格差縮小目的の為の税制改革には望ましいことになる。その代わり、国民全員が一般道を走る様なのろのろとした速度でしか蓄財しづらくなるだろうから、商才ある者が個人税制の有利な諸外国へいままでどおり流出する傾向を加速させもするだろう。いいかえれば、所得調整としての金持ちへの課税(ここでは個人所得税率)は、金持ちが税制面で国内に留まる一般傾向と国民内の結果平等に伴う主観的幸福さとのトレード・オフ(二律背反)関係にある。金持ち減税し彼らを国内にとどめると国民一般は不幸を感じ易くなるが、税収はあがる。他方、金持ち増税で彼らを国外流出させると国民一般は幸福を感じ易くなるが、税収はさがる。この両者は両立しがたい。
所得調整力が強すぎると旧国家社会主義国らと似た結果になり、国民内の起業の獣魂を失わせ、より所得調整力が弱い他国に比べた国の破綻を恐らくもたらすだろうし、逆に所得調整力が弱すぎると格差が極大化し、どこまでも不公平(実質的に生得資本が大幅に違う機会不平等)・結果不平等な社会は殆どの人々にとって虐げられる側になり生きづらく、一般に主観的不幸さを感じる国柄になるだろう。所得調整力はアリストテレスが『ニコマコス倫理学』で調整的(矯正的)正義について語ったよう、中庸の強さが望ましい。
なお実資本益課税の個人所得税への一元化の際には、配当課税も実資本益課税が本来そうであったよう、既に企業に法人税をかけているので実質的な二重課税にあたるかぎり、税制簡素化のため、実資本益課税と同様に廃止が望ましいだろう。日本国内の上場企業を対象に配当課税を廃止すると、それを維持している外国の税制とずれが生じるので、外国の上場企業からの日本国民への配当課税控除もなくすことになるだろう。つまり日本から先に配当課税を廃止すると、日本国民による対外国投資には外国政府から配当課税されるままであるが、これは同時に対国内投資や、外国から国内企業が投資を受ける為の誘因になる。