2022年3月23日

哲人王による公徳の話に、なぜ町の人が全くついてこれないか。そのとき哲人王はどう生きるべきか

きのう、明らかにへんてこな事を言っている人がいた。ツイッター上にだ。

 その人は「国学が水戸学にとりこまれ、尊攘論を生み出し国粋主義につながった。それが敗戦の原因になった」といっていた。Wという人であった。

 自分が知る限り国学と水戸学には直接の関係はない。常陸国や江戸で形成された水戸学派は『大日本史』編纂過程である江戸時代前期から明治初期まで存続していたが、国学は江戸時代中期に出てきた伊勢国などでの研究で、相互に緊密な人的交流あるいは決定的な理論の摂取といったものは自分はまだ見た事がない。そもそも水戸学派、殊に後期水戸学派は儒学を内に含んでそれを神道や武士道と統合し、「大義名分」「祭政一致」「尊王攘夷」などの理念によって日本の国民道徳を形成しようとしていたが(『弘道館記』『新論』など)、国学を主に本居宣長のものとすればそうでなく、おもに奈良・平安期の文芸批評を中心にした「物の哀れ論」による反道徳主義の要素をもっていた(『源氏物語玉の小櫛』など)。両者は儒学への理論的態度に関する限り対極的で、折り合う事はまずありえないほど違っている。会沢安も『読直毘霊』で本居の説のうち、水戸学派の理論と重なる尊王論の要素は評価するものの、大倫を軽視する点は不評していた。自分は藤田東湖が国学に言及した記述を読んだことがないが――またW氏がもってきたウィキペディアの引用元を明示していない記述では『弘道館記述義』によると書いてあったが、自分が全文を読み返しても該当記述をみつけられなかった――藤田についても、水戸学派共通の国民道徳的な理論の枠組みからいって、恐らく同様であろうと思われる。

 ところが、Wという人は、彼の持っている山川出版社のなんらかの教科書の解説の様な物を引き合いに、頑として上記の記述が一般的らしいので正しい、と言い続けていた。

 自分はそれをみて直感的に次の事を覚った。
 彼が引用しているその教科書の該当部分の内容をみるに、戦後イデオロギー(観念論)の影響下にある、文学部の一部にある様な、国内の史学科などの誰かがおそらく書いたものであろうことと想像された。ここでいう史学は文学と混同されている段階の科学的に未開なもの、つまり実証科学ではない物語史学、虚構の研究である。丸山眞男的な左派史観を京大学閥の様なところで戦後教え、その強い洗脳下に、厳密に科学的記述ではない、あまりに雑な作り話をしているのは学術的に余りに稚拙な内容から明らかと思われた。W氏が持ってきたものも単なる教科書というより、その簡単な解説書の様な体裁の本らしかった。いかにもありそうなことである。

 よって、再度W氏にその様な説明を図ってみたのだが、 そのとき自分は既に悟っていた。どうせ無駄だろうと。
 W氏はやりとりのなかで教科書の内容を疑うほどの知的訓練を受けた事がないと当人も自白していたし、他一人の人物が彼の返信に「いいね」をしてきていて、ツイッターはじめ日本語圏の匿名モブが溢れる場ではいつものことだが、すぐにも相手側が集団虐殺のための魔女狩りの犬笛を吹きそうな雰囲気をつくりつつあった。一度のみならず同様の経験をしていれば即座に気づく。危険だと。それで、自分は深慮のうえ全返信を消して、こちらは無反応で相手の反応をみることにして今に至る。経験的にもなるだけ早くかかわらないようにしないと、何らかの冤罪BAN目的の集団攻撃を受ける事例によく似た状況なのが明らかだった。

 ところで彼の言いぶりにみられるのは、日本国内の学術界や一般大衆のなかに有る特定の傾向だ。演繹的にいって、それは第一に「科学的読み書き力の低さ」である。もう一つは、「権威主義のしつけ」である。またこれは今回に限らないが「衆愚的魔女狩りによる集団虐殺志向」もだ。

 これらについて以下で分析する。

 第一の点。自分が話したW氏は、もともと科学的思考を行う訓練をそれほど、あるいはまったく積んでいない様ではあった。それで教科書、それも簡単な一般向け解説書の様な体裁らしいなにかをそのまま引用し、既に十分学習を終えたと思っていた。その記述が間違いを含んでいるかもしれないなど恐らく彼は生涯で一度も想像した事がなかったのではなかったか。自分にとって常識的な上記内容をそのまま返信してみても、それで、相手は何かしら驚いた様な再返信をよこしたのだろう。ここにあるのは日本の――少なくとも彼は神奈川県横浜市のひととプロフィールに記述してあったが――教育の失敗なのかもだろう。科学的思考のうち批判的読み書き力の部分が著しく育っていない。上記彼の引用部は、思想史の歴史的経緯をあまりに雑に解釈しており、しかも端的な誤りを含んでいる。前期水戸学派は国学より先に存在し、また後期水戸学派の基本理論のなかに、少なくとも本居国学の反道徳主義的要素は含まれていない。そして国粋主義がナショナリズムの訳語としても、欧米列強からの植民地分割の危機にあって国民道徳を形成しつつ、祭司長・天皇を中心にした政体を意味する「国体」のもとで令制国を統一しての祖国防衛を急ぐしかなかった後期水戸学派の国事意識は、単に本居の奈良・平安文学の批評による「大和魂」あるいはその恋愛至上主義風の理念である「もののあわれ」の抽出とは異なる文脈にある。それどころか国粋主義は、同様の思想で植民地拡大を狙う欧米列強側がもっていた軍事的・商業的侵略への防衛対抗策にほかならず、会沢安『新論』をその嚆矢とすれば(福沢諭吉の『文明論之概略』などがその文脈を受ける)、実際その枠組みによって各令制国に分裂していた日本はまとまって被植民地化を防いだのである。つまり記述者が反国粋主義的な観念論によって、植民地主義の時代に日本が置かれた世界史の状況を顧みない当該記述をしていた事は火を見るより明らかなのだが、W氏はその事についぞ気づかないのであった。

 第二の点は、W氏は或る言説が、他サイトに載っているとか、教科書と彼が考える文章に載っているといって、その内容の誤りを具体的根拠のもとに指摘されても、自らの偏見を疑う能力をもたなかった。だがこの様な態度は、単に彼だけでなく、国内の学校教育がしつけている紙の試験による従順化の洗脳度と極めて相関性が高いかもしれない。彼らは何か問題に「正解」が唯一つあり、それは既に決定されているという前提を習慣的に置きがちな上に、その内容の正否やその濃度・質・角度・潮流などを科学的思考に照らして再批判する、といった思考訓練を恐らく、生まれて一度もしたことがないと思われる。検証可能性について私が知らせたところ、彼はその知見について勉強になったと発言した。反証的な思考法だけでなく、その様な概念自体もおそらく知らなかったのかもしれないだろう。
 日本語のウィキペディアは極めて質が低く、記事によっては丸ごと虚偽しか残っていない程だが、それも、科学的思考訓練を積んでいない人々が日本語圏の殆どの人間だと考えると辻褄があう。単に引用先がないだけでなく、どうみても引用先に信頼性がない虚構記事とか、それどころか引用先自体を確かめるとそんな記述はどこにもなくて本文が唯の曲解や捏造、といった惨憺たる状態だらけで、極めて片寄った悪意で特定の人物や事物を貶める週刊誌ばりの三文記事が溢れかえっている。そしてそれを信用できる辞書と信じて本気でうのみにする人をも、私はみた(その京女は「はじめてウィキペディアを読んで勉強した」といっていて、私はかなりの文化衝撃を受けた)。日本語ウィキペディア内部で権限をもつ有力なだれかと軽くでも会話してみると、基本的に学識経験者ではないどころか単に党派性が激しい、極端に歪んだ反社会人格に毎度出会うことになるので、殆ど狂気の沙汰としか判断できない捏造記事を陰湿なやり方で群れて全力で保護し、信頼できる検証可能性を満たした立派な記事は即座に削除されていくのも然るべきと分かる。寧ろその様な「科学的信頼性」のある記事を書こうものなら集団虐待でアカウントごと陰険な集団虐待・冤罪じみた通報で、内部権限保持者らから圧倒的無知と明らかな害意で消されてしまう場面は毎度みる。学問的良識はそこで全く問題にもされていない。
「ウィキペディアが信用できないと知っている」とW氏は発言したが、今度は彼の教科書と思う本の記述も、検証可能性を満たさないのにやはりウィキペディア信者と同じよう無条件に信じてしまうなど、どうみても科学的思考を使っている形跡がなかった。つまりそこにあるのは書き手の権威によって自分にできて当然なはず理性的判断を改竄する、「権威主義のしつけ」の結果らしかった。皇帝が問えば馬を指して鹿と為す者がいた様に。この様な習慣をもつ人は、恐らく同時に媒体読み書きについても一般に、権威ある媒体か否かによって信頼性を少なからず確保できると思い込むだろうから、彼らが信じる権威筋から地獄に誘導されるより自らの思慮を使って生きる訓練を重々積む必要があるのだし、最低でもソーカル事件の滑稽味について十分顧みるべきだろう。

 最後に「衆愚的魔女狩りによる集団虐殺志向」についてだが、この様な邪悪な集団行動は日本では至る所でみる。関東大震災時の虐殺事件などがその典型例である。しかし最近ではマスク警察、現時点では反ロシア系集団イジメ・嫌がらせなど、日本人民衆はつねづね全体結束主義の強烈な性質を持っているのだがそれに無自覚で、かつそういう習癖を「和」の国民性といいながら正当化している。本居が紫式部の『源氏物語』からひっぱってきた「大和魂」という「奈良(大和国)の県民性」を元来意味するべき表現も、彼らが聖徳太子の『十七条の憲法』で『礼記』や『論語』から換骨奪胎した「和を以て貴しと為す」観念論に、多かれ少なかれ影響されている様に思われる。すなわち、和の原理によって一般に日本国民らは彼らが主となった集団で、群れて全体主義的になんらかの悪業を全員に強要する事を習性として行い、決してその様な拷問でしかない蛮行にみずから納得の上で反省したがらない。今回のW氏の言質に於いても周辺の空気づくりから同様と自分にはおもわれ、もしあれ以後も科学的読み書き力について彼に善意で説明をしようものなら、彼か彼の周囲が「大和魂」を発揮し、自分への問答無用の集団虐殺を試みる暴徒が大量に寄ってきた、なおかつ、虚偽通報や殺害予告の嫌がらせなどで自分の生命・人格圧殺を試みたのは間違いなさそうに思われた。
 ここにみられるのは、単純に日本人民衆がどうみても道徳的に腐敗した集団であるのと共に、それとは別に、W氏含め日本人一般が議論の風習をもっていない、という福沢『文明論之概略』で指摘されたままの事例の一つである。ここでは後者を扱う。恐らくこの様な議論の風習のなさは、町人らが一般に知識階級ではなく、長いあいだ生殺与奪権を握っていた天皇や将軍らの事実上の奴隷としてしつけられていた社会的慣行によるところが大きい。しかし全体結束主義的集団虐殺の癖については、大日本帝国下での天皇専制が随分しみついてしまっていると考えていいのではないか。そこでは和辻哲郎が『倫理学』で説明するところの象徴的な天皇の意志が、国民全体の意志にすりかえられ、個々人の固有性は消滅し、「臣民」として全員が同じ一つの目的の為に動かなければならない無言の圧力が、現実の非道な暴力を伴いながら加えられる。この様な観念論的統治体制下でできあがった文化気質が戦後も受け継がれているのでなければ、ツイッターはじめ日本のあちこちで今も起きている匿名集団による犯罪や、陰険な集団イジメにどう説明をつければいいのか。

 私が上記の分析に基づいて考えたのは次の事だ。
 私はこれまで啓蒙が当為だという福沢の『文明論之概略』での説に少なからず応じていた。国民全体の知徳の平均値である文明度を上げるには啓蒙が必要、というのが福沢の全為事の第一目的だったろう。
 だがW氏の言質をみていると、これはほとんど不可能である。彼に科学的思考を改めて教えるのにどれほどの労力がかかるだろう。そればかりか、日本人民衆がその過程で「和」を乱す者として啓蒙家側を純然たる悪意で攻撃し、殆どを集団虐殺してしまうのは目に見えているし、自分はくりかえし被害に遭ってきた悲惨な経験から敏くもそれに気づいて今回はすぐに身を引いたのでまだよかったものの、いつなんどき社交媒体をこえて実際の身に、匿名暴徒から危害を及ぼされるかわかったものではないのだ。
 こうして日本では啓蒙、或いは孔子が『論語』で「啓発」とよぶ相手の自主性に応じた教育の限界も、決して突破できないだろう。仮に「啓発」風に誰かが学ぼうとしてから何かを教えたところで、昨今のネット論客のうち例えば茂木健一郎氏の言説をみていれば、史学と文学を明らかに混同して無知に驕るなど、通り一遍の学校教育では元々の地頭の方は変えられない(何度その誤りを説教してみても彼には一向に通じない)、と自分は「上智と下愚とは移らず」が観測的にも真実らしいと改めて知る事になった。もともと人の思慮に決定的差があるなかで、啓蒙も啓発も慰めにすぎず究極でできないなら、この世界でそんなやり方により福沢のいう「文明の太平」――民衆の平均知徳の限界まで高まった理想国へは多分到達できないだろう。

 私がやるべき為事は、寧ろ最高善の追求の方だ。それなら他人がどれほど愚かでも、自分さえしっかりしていれば、生涯必ず到達できるだろう。
 私はユーチューブの講義シリーズの中で、学術城のたとえを使う。入口門兵の数学、下層兵士の自然科学、中層使いの者の社会科学、上層貴族の人文科学、その上に哲学者らの王座の間がある。各々、自然科学は数学を、社会科学はその自然科学を、人文科学はその社会科学を、哲学は全ての学術を含んでいる。こうして哲学はあらゆる知識を使って、最高善、殊にあらゆる知恵でも最高次な最高公徳を考える為事である。
 この比喩によると、最高善の究極の姿は最高公徳な筈だが、自分はこの領域で十全な働きさえできれば、民衆側への啓蒙などは門前の小僧に頼んだ方がよい、という事になるだろう。これは向き不向きの問題で、自分は民衆側への説明は余り向いていない。自分は余りに性善的かつ利発にうまれついているらしく、民衆側が極悪猿の如くにしか見えない事がまずすべての経験だったので、そういう者は、もともと人文科学のなかでも最高の地位にある倫理学者の間でなければ、王座の間に直接侍るしかもともとできる筈もなかったのだ。それにいよいよ気づいたのは去年の暮れから今年の今にかけてなのだが。上記の茂木氏などは、却って、脳科学を実用レベルに応用して一般向けの通俗科学書を沢山書いており、自分とはまるで違う資質と思われた。それでツイッター上の返信欄などで少々やりとりを試みたことがあるが、結局、自分とは知性の領域に属する殆ど何もかも、まるで違う人間だと自分側にわかっただけだった。ノーベル賞のたとえを連発したり、俗物根性で人気者に近づきがちな世評を大いに気にする人物が、一般大衆の方に向かって城内で起きている事を分かり易く解説する役割に立つのは、その学問的誠実性の程度(解説目的であまりに粗雑化した嘘のつかなさ)こそ監視されねばならないが、メディア知識人あるいは通俗科学者としてのその職責なのだろう。だがその様な人とは性質がまるで違う自分にできて、あるいは自分にしかできなそうで、ことさら自分が為すべき使命としては、全学術をまとめた最高の知恵である最高公徳の定義なのだろう。
 その為の学習を自分は全身全霊で続けてきた。数年前のあるとき経済学・経営学に余りに夢中になって一週間ほど寝ずに勉強しており、TOTOの洋式トイレに座った途端気が遠くなって失神しかけ(うまれてはじめてそうなった)、急激な吐き気と共に動けなくなり、過労死しかけた事がある。水戸の予備校の数学講師が「勉強しすぎで死んだ者はいない」と言ったことがあったが、あれは完全に嘘で、彼がまだ見た事がなかっただけである。自分は全知に到達しなければ全能や全徳にも到達できないとの洞察のもとで、はたち頃それらの特性をもつ神になる事を人生の目標に定めた。ほとんど不可能におもえるその目標を達してからはじめて自分が15歳から専攻してきた分野であるところの何か偉大な絵が描きえるだろうからだし、それどころか、神性に至れば一体なにが人生の究極目的なのかも一目瞭然であるだろうからだ。以後随分たつが、遂にその目標の全貌が具体的姿をとって見えてきた。そしてその様な目標をもつ者にとって、無知に驕る民衆の側を振り返っていちいち啓蒙や啓発をしている暇は元々なかったのである。その様な役割は、哲人王の、ときにきわめて抽象的な話も少しは通じるかもしれない、各科学の最高位の者、特に貴族として上層に侍る人文科学の最高位の者たる倫理学、特にそのなかでも最も公的な政治道徳の大臣以下に頼むのがよかったのだ。哲学者やその王が民衆のいる町に降りて行って、そこで話をしたところでまず通じる余地もないのは、余りに普段の生活から考えの内容までもが違いすぎるからだ。民衆側の相当数、いや今の倫理崩壊したのだろう日本ではその殆どすべてが、哲人王側とのちょっとした会話でも激高し、公徳一般を辱めにかかるのも、そこで王が相手にしていた民衆が極々粗野で精神的にも堕落しており、自己犠牲の程度のもとにある公徳とは最も本質が遠い私利にしかおもたる関心事がなく、最低でも民衆を相手どるのに慣れている通俗科学の城内出入り商人(英語でいう大学出入りの靴屋からきた部外者の俗語らしい「スノッブ」)らがじかに相手にするくらいしか対処法がない、荒くれもの達だったからなのである。