ウィキペディア方式で、引用元がありさえすればそちらへ責任転嫁し、嘘を述べる権利が公然と正当化できる、と考えている人々は愚者である。この方式は学術論文執筆でも余りにたやすく使われており、あまたの嘘が学界で公然と罷り通っている。
事柄の真偽などの価値判断は都度自らおこなわれるべきもので、引用元の執筆者がその検証責任を負えば無用だ、という事にしては一度たりともいけないのである。
もし引用を使うなら、常に引用元の何者かがその様に記述した事がある、という単なる記述史自体しか文脈に容れてはいけない。無論、その記述の真偽などがこの引用で証左されるわけでもなければ、真偽の正当性が権威づけられるわけでもない。ゆえに引用回数によって論文の信憑性や執筆者の信用を測れるとするのは、基本的に誤った観点だ。
影響因子やハーシュ指数などは、基本的に引用回数を込めて真偽の精度を測ろうとする考え方で、ヴィンチ村のレオナルドが「権威を引いて論ずるものは才能を用いるにあらず、ただ記憶を用いるにすぎぬ」と手記に書いた時点から、知識の理解度について根本でおよそ進歩していない。