2021年5月25日

死んだ方がいいと思われている人。死んだら終わりだと思われている人。

早く死んでほしいと年下に思われている様な老人は、もしそれが道徳のわからない浅はかな若者によるよくある誤解や悪解釈でなければ、既になんらかの意味で社会に害や、わざわいをなしている。
 同じ事は若者についてもいえる。早く死んでほしいと年上から思われている若者は、その大人が善良で有徳な人であればかれらから既に更生の期待をもたれておらず、反社会的なさがが板についているのだろう。

 これと逆に、有徳の者や具眼の士から、その死を人類の損失だと惜しまれる人物は、長生きを寿がれる。その人は高徳であるか、他者へ公益度が高いのである。

 衆愚地域や不良集団、または異文化の中では、ある徳が誤解されているか、別の徳が信じられているので、ある徳の基準からみてろくでもない人が尊ばれ、立派な人が蔑まれている。
 だからといって、道徳相対主義で全てが説明されるわけではない。徳の間には比較不能な独立した要素だけでなく、純粋に同一線上での質の差や、交差、あるいは一部が関係しているなど、より複合的な相互性がありうるからだ。つまり、呪いや寿ぎの一基準は、その集団やある文化の価値づけが普通な証ではない。