2021年1月22日

理論と技術の違い。感覚論と、前衛の意義

学問的な芸術家は、大抵、使い物にならない。
 学者は本質的に芸術家とあり方が異なっており、両者を高度に兼ねている場合は希である。
 よく作られている物は技術的高度さを伴っているが、単に理論的に何かを知っている、というだけでそれがよくなしえないのは、大抵の美術史家、あるいは美術批評屋に絵を描かせてみればよく分かるだろう。
 工学者と職人に違いがあるとすれば、理論的認識と、技術的認識にずれがある点である。

 芸術論の中で「感覚 sense」が問題になるのは、感覚の優れ方と、学問的認識の優れ方とは質が異なるからである。美学 aestheticsの原義は「感覚論 αἰσθητικός」で、この認識については、数学の様に、定義、公準、公理、命題といったユークリッド『原論』式の論理的段階を追って、誰もが一様に学ぶ事はできない。ある感覚について気づくか気づかないか、かなり生得的な問題なのだ。そして未知の感覚の拡張に関わるのが、芸術の前衛性の存在意義である。