民族虐殺をはかったナチスドイツが悪い、故に、ヒトラーが悪い、という「ヒトラーに訴える論証」の最大の欠点は、そもそもそのヒトラー率いるナチスを民主的選挙で選んでいたのが現役のドイツ国民達だったという真実だ。
ヒトラーは近代ドイツ国民の要請によって、雇われた公僕だ。ドイツ国民一般が彼の反セム主義や種族主義を含むアーリア人優越論そして国民社会主義を拒絶していれば、端からナチスドイツが出現していなかった。
実際同時期の諸国でも、旧枢軸国の中に類似の結束主義的現象がみられるだけで、飽くまで程度の問題ではあるが、連合国側のうち少なくとも英米仏の3国ではより自由度の高い社会を作りえていた。特にフランスは、日本の第一次大戦後に提案した国連人種差別撤廃条約にも賛成票を投じていたなど当時としても最も寛容だった事が疑いない。
だが現代ドイツ人はヒトラー個人へ責任を帰し、その手伝いをさせられていた戦犯と、当時の制度たるナチズムに全過ちを単純化し還元してしまい、いわばドイツ人自身の自民族中心主義性に真の問題があるのを通常、反省していない。ミュンヘンで育って日本に来ているサンドラ・ヘフェリン氏の言説などにはまさにそういった面がまざまざと見られる。彼女は大抵の事柄についてドイツ民族を中心に置き、それに劣るものとみなした日本国民やドイツ文化との差を非難する論説を東京マスメディアや自身のツイッター・サイト・著書等で発表し、明治時代の薩長土肥による藩閥政治以来、脱亜入欧の欲望がある一般日本人に受けを取っている。
これが比較文化論の悪用または誤解なのはいうまでもない。通常、文化差は優劣ではない、というのが構造主義以後の文化人類学や、民俗学の常識だからである。学問的に定義せずとも、己の母国の単一文化が凡そあらゆる場面で正当と考えている人は、素朴に見ても世界旅行その他で異国情緒を好んで喜ぶ人が多い以上、非常に珍しい。サンドラ氏自身がこの点にいかに無知で無教養あるいは多文化への包摂性に無感覚であれ、根底にある自民族中心主義を否定できていない以上、ナチの根本にある問題は、ドイツ人一般の考え方の癖にあるのである。
ドイツ人一般にみられるその種の自民族中心主義にとって思想的源泉を辿れば、同国のヘーゲル(1770年 - 1831年)は既にそういった自民族中心主義を、世界精神として神話化してもいたし(『歴史哲学講義』)、通常、国際平和論者とみられるカント(1724年 - 1804年)にも、西洋中心主義の中でも自らを含むドイツ人が、諸国の人種に比べ代表的な人間像だといった自己中心性を免れていない論考が残っている(『美と崇高との感情性に関する観察』)。
大体似た様な事が、例えば東京人、京都人一般にも見られるが、彼らの場合、天皇と称する一族が遣隋使などを経由し、中国から持ち込んだ中華思想に感染しているのが大きいだろう。単に大都市になった東京については、群れる事で気が大きくなっているチンピラ的雑魚さもあるだろうが、京都の都市規模は随分小さいにもかかわらず、また『世界文化自由都市宣言』を京都市が定めてから久しく、そこでも京都を文化の中心と定め自民族・自文化中心性にはまず何の反省の色もない。明治150周年のイベントで彼らが奥羽越列藩同盟軍側とか、アイヌ、琉球、或いは最後の将軍のお国元にあたる水戸などを無視していたのはこれを示している――禁裏御守衛総督の水戸人・徳川慶喜と京都守護職の会津人・松平容保らが、共に天皇及び御所と京都を命がけで守っていたのに、彼らが小御所会議以後、薩長土肥や岩倉具視をはじめとする京都人、会議で同席し西軍に加担した広島人・浅野茂勲らから濡れぎぬを着せられ犠牲になった事に、西軍の末裔たちは何の謝罪の念も、感謝も、歴史的反省すらも全くない。飽くまで自分達京都人が主役で、自分達以下の国内諸都道府県民を暗に見下す、といった京都中心主義は、平安京以来の彼らの文化基底になっており、これがドイツ民族、あるいは元祖華人や、今や天皇のおひざ元たる東京人の単位になっていようが、構造は一緒で、古代奈良から行われた天皇一味の日本侵略を正当化していた頃と何の差もない。
そして日帝こと大日本帝国あるいは日本帝国主義の歴史的反省もおよそ中途半端なまま、皇室なるものが米国製民主主義に妥協しつつも戦後天皇制として日本右派の中でなかば理想化され、そっくりそのまま生き残ってしまっている事は、ナチスドイツと現代ドイツ人一般の相応の関係に照らせば、深刻に考えるに値する重大な点――日本国民一般にとっての、人道国家たる資格の欠如だというしかない。この点で国連憲章の敵国条項(国連憲章第53条、第77条1項b、第107条)が打った釘に、全く意味がないわけではないのである。尤も、旧連合国が植民地侵略のさなかやってきた人種差別や人権侵害にあたる不当裁判、慰安所の設置、その他の蛮行とか、諜報活動、原爆投下なども免責されうるものではないとはいえ、先ず隗より始めよ、が真実ならば(現・米英仏独伊中露ら第二次大戦参戦の主要他国にそれが期待できるとはいえない)、日本が最初に、戦争犯罪とはなんだったのか、それを歴史的反省ぬきになかった事にしようとしている右派らは戦犯の一部なのではないか、と倫理、法の両面から再検証していく必要があるのは疑いない。
同じく薩長土肥、広島・京都の軍が、小御所会議での裏切り以後、戊辰戦争の中でどんな残虐な行いを繰り返し行っていたかについても、史家は後世の為きちんと書き留めておく必要がある。これらは現実に、明治政府側が悪意で抹消しようとしたのであり(山県有朋による孝明天皇宸翰買取の陰謀など)、今も抹消され続けているといっていいだろう(新撰組初代筆頭局長・芹沢鴨による有栖川宮への仕官の史実、西軍による徳川慶喜・松平容保及び奥羽越列藩同盟への朝敵の濡れぎぬなど)。薩長土肥ら西軍の末裔達は過去の行いをむなしい虚栄心を補完する目的でなかった事していて、開き直って侵略や内乱罪に驕りつつ、反省するつもりも一切ないのだから(母方を薩長土肥の一端である佐賀県に持つ茂木健一郎氏による、実在しない「船中八策」など嘘混じりの、度重なる西軍英雄譚など)。
山口県の三浦梧楼が閔妃暗殺を企ててから、朝鮮や満州、台湾、中国や東南アジア、ロシア、ビルマで起きた同県・吉田松陰の侵略思想にのっとった日帝の行いの数々も、戊辰戦争の詳細記録と共に明治から平成の各政府は、薩長藩閥の残党勢がおもになって握りつぶしてきた。そして長州閥の末裔である安倍晋三も、私の見ている同時代で、公文書改竄に公然と手を染めていた。だがこういった自民族中心主義による不正な歴史改竄は日本では今に始まった話ではなく、天皇が古墳時代に実在した卑弥呼や各地豪族の国々の歴史、縄文時代以前の日本史を完全に抹消し、自分達奈良への移民一派が中心の偽史にすべてを書き換えてしまったのでも証拠だてられている。単なる歴史学に限らず、ことさら天皇が全権を持った明治から昭和前期の間、学術全般に及ぼした迫害的な影響(特に天皇機関説や大正民主主義、共産主義などへの言論弾圧、並びに進歩主義者への特高など憲兵を使った逮捕・軟禁・虐待・処刑など)――また戦後でも富山県立美術館での展示拒否事件を端緒に、果てはあいちトリエンナーレ2019での天皇踏み絵作品などを理由にした脅迫事件に象徴される「天皇タブー(天皇禁忌、天皇関係自主検閲)」の存在をかんがみ、学問の自由を権力乱用で侵害しうる中央政府から、祭政一致・政教一致の皇室が完全に排除されない限り、天皇にとって根本的に不都合な真実が、何者かのなんらかの意図で国史から消去されうるのは疑いない。