2020年8月28日

都会は天才を殺す俗塵なり

群衆を眼中に置くな、と漱石が芥川に書き残した(1916(大正5)年2月19日、芥川宛書簡)。全くこれは真摯かつ有徳な忠告だった。100年後の今も、未来に於いても、これより役に立つ後進への教訓はないだろう。
 一般大衆はオドロオドロシイほど暗愚であり、衆愚的で、大変な悪意で、芸術家を悩ませる。
 同時代に全く同類がいない作家にとって、群衆は存在そのものが有害である。彼らの高評するのは大概常に、ろくでもない作家、作品だからだし、それも群集の法則として単に話題になっている事に、同調圧力に負け、無批判にたかっているだけだ。彼らを相手どる限り、人は堕落こそすれ、何事か益を得ない。

 できるのならば、同時代人と関わらない事だ。これが最上の境地である。同時代人は優れた天才に比べれば当然だが、判断も知識も、徳全般が劣っているし、関わるだけ時間が無駄になる。その時間を研究にあてれば、もっと優れた作品を作れるだろうし、心理的負担も減る。同時代人が天才に最大の害なのだ。孤立している事。孤独。これが画家の最高徳の一つだとレオナルドも書き残した。全く間違っていない。同時代人の悪疫を避ければさけるだけ、研究時間が確保できるからだ。市中の隠より、田舎町での暮らしの方が余程世俗の煩いが少ない。わざわざ自分から都心に出さえしなければ、雑情を制限さえすれば。
 芥川は東京で生まれ東京で死んだ。成程彼には古里が江戸の下町でしかなく、そこで江戸の通人の暮らしにも戻る事はできず大正期に自殺を図る。彼は師にあたる漱石同様、急激な近代化と江戸情緒に引き裂かれた存在といえるだろうが、師より一層その程度が激しい。旅行を除けば異文化を知らなかったのだ。芥川は商業化した小説執筆以外の活計の途もなく、それでいて多作ではなかった。歴史に範を取って、換骨奪胎した質の高い短編を描く、あるいは前衛的小品を作る彼の手法は量産に向いたものではなかったから、結局、妻子を背負った家計の重みに耐えかねていたともいえるが、孤軍を維持できなかった。もし彼に別の古里があればそこで暮らせばよかったのである。だが商業作家としての暮らしの外に彼の実在は移動できなかったので、単なる休息の為だけにでもあの世に逃げおおせるしかなかった。三浦春馬もそうなのだろうが、東京の頽廃的な衆愚に囲まれ世俗生活を送って平気で居られるのは俗物だけである。いかにして衆愚から身を退けるか。単にこれができるかできないかで天地の差がつく。
 序盤で幾らか才知があった者でも、大衆と共に暮らしているとやがては俗臭紛々たる俗物に成り下がってしまう。
 嘗て貴人が文士を兼ねていた際のみに、貴族文学の類が生れたのは偶然ではない。隠遁が必要だったのだ。