2020年8月11日

画家の人生は青雲の志の実現過程

僕と同時代の絵描きで、Nという人がいる。分かる人にはわかるだろう。
 僕はこのひとの存在を結構前にツイッターかなんかで流れてきたかなんかで知り、それから結構観察していたのだが(というか結構研究していたのだが)、驚くほど自分と性格が違う。カオスラのK氏やU氏も全然違うけど。あとホウコウキュウさんという人も同時代というか同年齢ぽいんだけど、このひとも抽象画の先を探ってる面があるって点では幾らか似ているのと、同時代に東京圏の美術予備校にいた時期があるっぽいのはかぶってるにしても、根本が色々違う。僕はもっと純和人に近いだけじゃなく教養主義の傾向もある。

 このNさんという人は最初から大分、家庭環境などが違うなと感じたのと別に、僕は18の頃、小磯良平やサージェントが結構好きだったのだが、そして写実の勉強していた時期があるんだが、そこから今に至るまでの進路軌道がまるで違う。僕は彼と違って目まぐるしく周辺分野を渉猟的に探求してきている。しかしNさんの方はムサビ入って最初バーテンやってたらしいが、そこから写実画の売り絵描きになり、最近はテレビのコメンテーターになるなど洋画路線の商業美術道を行っている。
 僕も18の時点では写実画の勉強していたのに志が彼と全く違ったので、まるで違う経路になった。それは驚くほどの差だ。僕は売り絵しなければならないという切実な状況に陥った事が1度もない。ピグで或る女(或る都内の理系女)に絵売った方がいいといわれたのと、別の福岡ネカマだったらしい女ピグにも同じくいわれたので数年実験してみたが、結局、自分には全然水の合わない世界だと感じた。商業美術界。泥水に感じた。例えばセザンヌとかモンドリアンとかも似た様な感じを受けていたと思う、当時のパリ画壇で。それで彼らは、セザンヌの方はいなかにひきこもって親の遺産と奥さんの稼ぎで実験絵画を延々と描いてたし、モンドリアンは本画は本画で探求していたが、しょうがないから花のパン絵で食いつないでいた。
 N氏は僕とどう違うか? 先ずさっきブログで読んでびっくりしたんだけれども、ブグローが理想の画家だといっていた。調べてみたら典型的なアカデミズムの画家である。それで最初から絵の理想が違うんだなと分かった。
 僕が18の時、特に深く研究してたのはモンドリアンやウォーホルだった。前衛性だ。モンドリアンは抽象の極北にいたし、ウォーホルは(写真のシルクスクリーン印刷による転用という形で、模倣や再現性を中心としてきた伝統的な)絵画の概念を根本から変えていた。僕が特に彼らに惹かれた点があるなら、彼らが純粋に絵画の問題を探求し、或いは決定的に革新していたからだと思う。最初は小さな差にみえる、18歳の頃の画学生のみている理想って。僕はモンドリアンの様な純粋な探求精神が絵画史の中心領域だと知ったし、ウォーホルには作品自体もとても格好いいし面白いけど、軽妙な同時代ののりこなしかたにある種の憧れを感じた。だが同じ頃Nさんは全く別の理想をみていた事になる。そこから僕は美大芸大という旧体制へ最初から完全に背を向けるぞと決意し、できるだけ美術業界なるものに関わらない様に、一人で絵を描いてきた。誰からも邪魔が入らないよう殆どの作品は未公開にして。PCぶっ壊れて消滅した過去絵も何百とある。しかし僕は未視の絵が見たい一心でそうしていたのだ。
 あの頃、同世代の画学生らは各々なんらかの理想をいだいている風だった。全く薄ぼんやりと何も考えていなそうな僕の親友も、やがては絵から彫刻、陶芸へ転向しながら僕との待ち合わせ(ミレイのオフィーリア見に行く約束)を裏切って駆け落ちして高知山奥へ消えた。それもひとつの理想だったのだろう。同世代のカオスラK氏は今回のハラスメント事件で大いに権威失墜したと思う。同社でおもな絵描いてたU氏はとばっちりみたいなもんだろう。しかし彼らの人生もまたその理想の探求だったのだと思う。たとえそれが組織的権力行使や、邪淫の類を含むものだったとしても。
 若い頃の理想がやがて形をとる。