きのうNという人がユーチューブ動画で次の様に、美術と芸術を定義してるのをみた。
彼曰く美術とは写実画の写真的な精度が上がっていく過程で、芸術とはそれを脱構築する事らしい。
これはfine artの訳語たる美術と、artの訳語たる芸術の、極めて独自解釈による彼特有の定義というべきだろう。
一般論または辞書的定義としての美術 fine artとは、芸術 art全体のうち、特に音楽、絵画、彫刻、建築、詩にあたる、最も古典的な分類の事である。
The Project Gutenberg EBook of Encyclopædia Britannica. Volume 10 (11th ed.). 1911.
ブリタニカ百科事典ではこれらを5大芸術 five greater artsと呼んでいるが、副次芸術または補助芸術 minor or subsidiary artsとして踊りと劇を挙げている。
これらが一般英語での古典的な意味での、訳される前の美術・芸術の原義といえようが、元々artは「技」の意味であり、より広義でも使う。
Nのこの2つの言葉の使い方は、恐らく、日本で一般俗人(但し主に、百貨店での写実売り絵描きとしての彼の顧客となる年長者)の間で流布されている、岡本太郎の芸術論の語義を、独自解釈したものだろうと思う。
「芸術は爆発だ」とする岡本は、前衛 avant-gardeの意味で芸術の語を使っていたのである。
即ち、より厳密に原義及び英語圏での語感に即して正名すれば、Nによる「芸術」の語はそのまま「前衛」に、Nによる「美術」の語はむしろfine(立派な、素晴らしい、完成された)との形容詞を伴わない、単なる一般的な「芸術 art」にあてられるべきだろう。
更に彼のいう「(Nにとっての)美術」が、絵では写実の再現精度との説は、少なくとも国内外で既にほぼ通用しない美学というべきだ。西洋では少なくともプラトン及び、アリストテレス(特に『詩学』)から模倣と絵に明確な対応関係が認められるが、近代絵画以後は美術らしさが唯の再現性から離れた。
日本の伝統絵画についても同じ事がいえ、そこに既存していた絵(のち日本画と呼ばれるもの)は必ずしも再現性を美術の質と見ていたわけではない。
N自身が写実の商業画家なので、それにひきつけ定義した「(Nにとっての)美術」なのだろうが、上記を省みれば却って国語に混乱をもたらす曲解だろう。