(『日本語圏の一般人は誰からでも通知くるSNSをやるべきではなく、最低でも第三者通知をきるべきで、特に思いやりがあって繊細な人であればあるほどなるだけ早く去るしかない』の続き)
つけ加えておくと、性格のビッグファイブ分析で開放性が高い傾向の人(例えば自分は最大値)は、いわゆる知的好奇心で世間を観察したがるかもしれない。
(自分みたく)しかも感受性や繊細さを併せ持っていると厄介な事になるが、それらの場合、荒らし通知を排除しつつ観察できる状態を作るしかない。
このツイッターの利用法論だが、お気軽ブロック派(有名所で津田大介・東浩紀氏ら)は社会的に重要な批評を悉く見逃す傾向になってしまいあいトリ炎上みたいな暴走に至った実例がある。
他方でノーガード派(ホリエモン・モギケンら)は相当鈍感でないと木村花・三浦春馬式に自殺の憂き目にあう。
匿名卑怯者派(一般ツイッター民)は、はっきりいって公害に他ならず、根っから人生を無駄にしているばかりか、遠からず逮捕・監獄入りの対象である。
この最後の人々はツイッター社にとって広告収益のカモでしかない。前二派が客寄せパンダになっている訳だ。
これらの用法は正しくないと思う。
元々ツイッターなるSNSはマイクロブログの実験ではじまった様なもの、ブログの更新通知はフィードで行われていたが、それを短縮化した様な代物だった。やがて会社化され上場し利益追求の必要から、上記の「炎上商法」が常態になった。差別的書き込みが恣意的に消されないなど2ch的広告収益モデルの限界がある。
現時点でいえるのは、米大統領が主要な情報発信源にしているとおり、ツイッターは社会基盤になりつつあるものの、しくみは自殺誘発が多いようダメダメすぎる。酷くポンコツな悪意通知が連打される不出来な段階で、今後もカイゼンされず廃れる可能性もある。
「(まともな人なら)フェイスブックにいけ」なる常套句は正しいかもしれない。2chやピグもそうやって良識派を排除し続けた結果、主要SNSの座をあけわたした。はじめミクシー、のちフェイスブック(写真ならその部門だがインスタ)、ティクトクらに。リアル友達が少ない人の安全なSNSはまだないのだ。
自分が実験した限り、実名でツイッターやるのは他の諸派閥に比べればまだましの部類だが(原理的に責任ある言動しかできないので自堕落も防げるし、なんらかの社交になるのは確かだ)、問題あるとすれば「売名するな」という匿名卑怯者派からのやっかみがある点だ。相手しなければいいにしてもうざい。
ドラクエでいうと、匿名卑怯者派の殆どが敵キャラ、中に町人雑魚キャラが混じっている(現実の数の比率的には逆なんだろうが、町人雑魚キャラはよかれあしかれ凡庸なイイネしてるだけだが、敵キャラは下らない誹謗系返信多いから目立つ)。要はこれらの人々をより分けていくゲームがツイッターである。
基本的にツイッターゲーでは、敵キャラを倒す必要がある。誰もそうとは気づいていないがそれが文明化なのだ。しかし敵は荒らしなので直接相手どってはならず、間接的に、乗せられ易い町人雑魚キャラを特定の向きに先導する。これが全てである。
つまんないといえばつまんないが、レミングスの応用。
これまで上記のゲームは「啓蒙」とか「教育」とか、「政治」、あるいは「宗教」とかいわれていた。要するに文明化の営みなんだが、ツイッターもその現場にある。
調度、羊追いの少年みたく、無知な民衆のうち、悪質なのに社会的制裁し、並の多数を率いつつ、良質なのと連携し協働していく作業だ。
実名でツイッター羊追いをするとは、できるだけ匿名卑怯者派のうち、雑魚町人から敵を切り分け、敵に雑魚町人がかどわかされ悪の道におちないよう誘導する。こういうゲーム、本当に僕はやっててくだらねえなと思っているが、知識人たる仕事なので仕方がない。たまに全員崖から落とす方がいいと思う。
根本的にこの文明化(ツイッター内)ゲームは、勧善懲悪の別名だが、そもそも正義・良識の立場が敵と自分で違うだけという道徳相対主義の観点は間違っている。どういう事かなら正義・良識には質があり、段階がある。
ライトサイドとダークサイドの濃度論みたく、よりレベル高いジェダイがいるのだ。
『スターウォーズ』でいうとヨーダみたいなのもいればオビワンケノビみたいなのもいる。しかしこれらの人達は歴史に残る偉人以上なのはいうまでもない。
匿名卑怯者達の中で敵は特定の無道さ(サイコパシー)をもっているが、それは人類に不幸をもたらす闇の考えであり、しばしばボスキャラもいる。
ボスキャラは、なんらかの名前を名乗ってる場合もある。というかボスだけに固有名詞のなんらかの名前がついているのであって、しかも多くの雑魚町人を敵陣に引き入れているので悪の総本山みたいになっている場合もある。
こういうのと現実の一部たる小宇宙で戦いを繰り広げるのがツイッター界だ。
雑魚町人たちは、全くのあるいは相当の無知で、大抵に於いて判断力も笑えるほどないし、いづれにしても直ぐに誰からも忘れられるほど無個性なので、固有名詞で呼ばれるまでもない存在である。この一般大衆なる存在を、ライトサイド騎士が、ダークサイド騎士と陣取り合戦するみたいな話になっている。
ツイッターの正しい用法とは、このライトサイド騎士の師になることであり、要は最善者、極善の聖人君子として人類全体を魔の手から救い出す仕業に他ならない。中二病かよとつっこむ雑魚がいると思うがそれこそ敵の戦術である。できるだけ真剣な物事を茶化して、荒らし万歳という流れにしたい連中だ。
まとめるとツイッターにはおもに
1.お気軽ブロック派(保守的インフルエンサー)
2.ノーガード派(開放的インフルエンサー)
3.匿名卑怯者派
3-1.敵キャラ(しばしば筆名などあり)
3-2.町人雑魚キャラ
4.実名派
4-1.ライトサイド
4-2.ダークサイド
がいる。
お気軽ブロック派・ノーガード派と実名派はかぶる事もあるが、実名派は基本的に商売目的フォロワー数稼ぎの様な事をしていないので、目的自体が違うと思われる。実名派の目的は社会参加であって、お気軽ブロック派・ノーガード派のそれは売名金儲けである。
匿名卑怯者派が「売名すんな」とインフルエンサー系を攻撃するのはこの為であり、有限の資源であるカネを寡占するなという意味で、それと利害一致している売名行為を迎撃するつもりなのである。
匿名卑怯者派からみると、彼らは名もなき人々であるようただでさえ無知無能な傾向もあるので、実名派とインフルエンサー系(1・2)の見分けがあまりつかない。または見分けがついていようが悪意でわざと誤認したふりをし、一緒くたに攻撃対象にする。これが実名派に売名攻撃の矢が飛んでくる理由だ。
自分が今まで認識できた最善のツイッターの使い方とは、実名派ライトサイド(4-1)として純粋に文明界をよくする目的で、通知きりなどの技を駆使し敵の攻撃をかわしつつ、全体をよりよい方向へと様々な工夫で誘導する事である。
またこれもつけ加えねばなるまい。『正義の対話術について』に詳しく書いたが、ライトサイドとダークサイドの間には激しい攻防がある。常にライトサイドに踏みとどまるには、対話術的に絶えずダークサイド批判を繰り返すしかない。闇落ちしてても気づかないと試合終了である。