自分は高校のとき村上春樹を網羅的に読んで、それから2ch文学板という所で20代前半くらいにどうも春樹当人ぽいやつ(別人の可能性もあるが)が出てきてあれこれやりとりした結果、大いに相手の人格に失望し、そこで春樹的なものからできるだけ遠くに行こうと決意して今まで進んできた。
で、今さっき川上未映子って人(どうもこの人っぽいのもその当時、文学板にいた様にみえた、自分は絶対に近づきたくないタイプだった。作品も読んだが大阪弁で書いてあったのは珍しかったが内容がどうでもよさげな女の私小説ひとりがたりでしかなくあんま好きじゃない)がインタビューしてたの知った。
そんで、そのインタビュー記事みたいなのの中で、春樹がラジオやりだしたというのも読んだ。これで思ったのは、もう70過ぎたらしくて呆けだしたんだろうなと思う。よくある話。
僕は2ch文学板で不当に名誉毀損されまくったので心の底から義憤し、数年以上、本気で毎日神様に復讐してくれるよう祈っていたのだが、遂に恨み骨髄に達し、長期戦略を立てた。それは春樹にしても、他に自分を名誉毀損してきた一派だった綿矢りさ(当人かは不明)も長い目でみて文学的完勝する方法だ。
といっても基本手法は、聖書の次の一節に従った。
「神が復讐する。自分で復讐するな」
長い目でみれば、相手は悪徳小説で売文売名してる二者ゆえ、自然に倒れると見込まれた。それで自分がそれを超えた尊い仕事を重ね続けるのに集中し、彼らが記憶に出てくると憎悪が湧くのでできるだけ脳内追放した。
つまりは極悪小説屋の事は忘れ、自分がこの時代の最高傑作と呼べる至高の文学を作ることに全力を注いでいた。
それでさっきの未映子インタビューに、春樹がラジオ開始してたって記事だ。そもそも綿矢の方は結婚して市場からもほぼ消えた様にみえる。自分としては未来永劫を復讐期間に見込んでるが。
春樹が今後何年で死ぬかは分からないが、間違いなく寿命がくる。自分の本当の勝負はそれからだ。生前はできるだけレースの仕方として或る工夫をし、春樹側の点数が自動的に減っていくよう戦場(文学界)を作る。綿矢についても同様。同時に、彼らが肉体的に倒れてから、文学で本格的報復を開始する。
ラジオなんざやっている場合では、当然ない。なぜなら僕は何もかも覚えているからである。2chでどういう事をされたか、当時の連中の言質も一言一句全て記憶している。それらを総合すれば閻魔でも間違いなく、名誉毀損一派(2chにいた小説屋ら当人かは、死後の裁判でしか不明)を地獄に落とすだろう。
先ず、当時春樹っぽい振舞いをしていたやつは、春樹を師匠扱いしていた僕が小説の書き方教えてくれといったら「性交を生々しく書け」云々といってきた。春樹は確かにそうして売文したので、本気のアドバイスだったかもしれない。自分は上品な人間だったので当然の如く拒絶した。
その後、自分がアリの穴とかいう小説投稿サイトに、大量に実験小説を投下していたら、それはそもそも自分の基礎が慣れ親しんだ春樹の文体にあったので、春樹(らしきの)が「そろそろ(春樹風の)文体を卒業してもいいんじゃない?」云々といってきた。
それで彼の文体ルールの逆をやることにした。
春樹の文体ルールは当人が別のインタビューでよくいってるが、「深い事をできるだけ易しく書く」事にあった。
自分は文章をネットで書き始めた初期、普通にそれを模倣していたが、春樹らしきのに卒業しろといわれたその瞬間くらいから、それがどんな内容だろうとできるだけ複雑に書く事にしていた。
その期間は大体10年くらいあったと思う。文体実験が主題といってもいい中編小説を10作くらい書いたが、その時点までにできるあらゆる手法をやり尽くしたと感じたので、今度はその種の文体複雑化もやめ、どんな書き方でも自由にとることにした。
これで今の文体に至っているので、こないだツイッター発信初めて間もない頃に、いかにも馬鹿そうなスマホゲー中毒高校生みたいな匿名一派に、簡単に短く書けとかそれができないやつは馬鹿だとかいわれようが、何いってんだこいつらはという話でしかない。そんなもん僕には文体の目的でもなんでもない。
数年前くらいに久しぶりに春樹の小説が、家の倉庫の透明な引き出し長押みたいなのの中に入ってたので、高校2年くらいのとき美術部準備室のあのソファで寝転がって授業出ず朝から読んでたなぁと思いつつ、『羊をめぐる冒険』を開いてみたら、今の自分より文章が下手すぎてまじでびっくりしてしまった。
春樹の文章は、自分が精神と時の部屋で10年以上文体猛実験してたあとで見返すと、もう読み返せたものではないくらいグネグネしており、ネットリしており、はっきりいうと気持ちわるかった。なんか変な癖みたいなのがあって、しかもそれが中身のない文をふやかしているので到底読めたもんではない。
あの時2ch文学板界隈にいたのが春樹当人かはいまだに不明ではあるが、「性交を生々しく書け」の方は通俗小説として卑しい大衆に売れる為の最適な忠告だった節はあるにしても、自分は採用したくもなかった。大体、そんなもん公に交尾しろというくらい馬鹿げており、東京の恥知らずゲスにしかできない。
小説で食う為に、綿矢であれ春樹であれ、生々しい交尾を書いてぷげぷげいい、東京のげすな出版屋どもとやれ出版パーティーだの、何なに賞だの、実に稚気じみたたわけごとをするなど、僕の様な根っから高尚なる、どころか神格を目指すほどの大志をいだいた人間には到底できた相談ではない。
町人の末裔にしても下の下の連中が、高々、菊池寛の通俗小説を後追いして売文生活してるからといって、そんでそれを外人が仮にもやれノーベル賞だとかいってこようが、はっきりいって、その外人も馬鹿だ。どちらも満足した豚としてミルにディスられろ。俺はそいつらを軽蔑するだけの話でござる。
わたしはですね、交尾自体を否定まではしていない。そんなんサルどもは勝手にやってりゃいい。あるいは私的にね、芥川が文ちゃんに好きだのなんだの送ってたろ、そんなんはどうでもいい。許容範囲。私事はね、でもね、公にね、きちんとした芸術作品の形で立派ならぬものなんて残すなよ。そう思います。
あの太宰治が私生活は淫行してたんだかなんだかしらんけども、堕落していたろうと思われる。かなりの程度。けどその一方で、『黄金風景』とか『惜別』みたいな、まあ小林秀雄だっけ、じゃねえわ。最初のノーベル賞の人なんだっけ。意地悪した爺いたじゃん、あいつよりずっといい作品書いてたよね?
かなりの良品を。私生活破綻してようが、一方では書いていた。太宰は僕も三島と一緒であんま人としては好きでもないって言うか近づきたくないけれども、やばいから。作品自体は真面目だったといえよう。『人間失格』はつまんないけども。中学の時読んだ。日本文学全集あるから。おうちのソファで寝て。
春樹はな、ぶっちゃけ、俺が読んだ全作品(『1Q84』以後は適当に図書館でぱらぱらみるくらいだけども)鑑みても、はっきしいって、二流だったと思うのだ。近代文学の全体の中で位置づけても、大分劣る。それは春樹自身が通俗作家としての面を最初からはらんでいたせいだ。
僕は春樹だけを読んでいたわけではない。高校の時は集中して読んだにしても、その後、福沢諭吉や夏目漱石も網羅的に読んだし、シェークスピアにも大分影響された。ゲーム作った時でも唯一、原作使ったのはシェークスピアのハムレットだ。詩劇の悲劇の基本形として相当、巧くできてると思ってるからだ。
「性交を生々しく書け」というご立派な忠告。ご当人か知りますまいが、これね、春樹の本質を現してると今にして思うよ。それだからこそ春樹は二流だったんだよな、と。そうやって俗受け狙ってるからカズオイシグロに鼻差開けられたんだわ。カズオも短編以外つまんないけど、くそ真面目だからね。
春樹(らしきの)が若かりし僕にしたアドバイスのうち、「そろそろ(春樹風)文体卒業してもいいんじゃない?」の方は、確かに結構役立ったと思う。それがなかったらいまだにあのぬめぬめした、なんていうのか米文学もどきの芝居じみた会話文と、奇抜ぶった比喩、気取った言い回しに囚われていた筈だ。
ドリーって人、岡山人だと思うけどツイッターだとなぜか関東在住とか書いてあるが、或る時アマゾンレヴューで結構下品な言い方で春樹ディスやりだしそれがヒットして、一発屋みたいに『村上春樹いじり』だしたよね。hoitiってピグ民に面白いよっていわれ買って読んだが、途中で腰折れてて微妙だった。
春樹の作り出したトンキンチャラ男なるものをクールだみたいにみなす雰囲気を、鋭い突っ込みで無効化したって意味では、ドラクエでいういてつくはどうをかけられた仲間にキアリクかけた状態だから、大層役には立ったわけだけど、僕はそのかなり前から自力で魔法を解いてたのよね。直接衝突してだけど。
大江は『作家自身を語る』で、それまでのアンチ春樹の矛先を少し納め、これだけ国際的に読まれる様になったから自分が間違っていたみたいに妥協してるけどさ、僕はそういう問題じゃないと思った。そういう売れ売れポジション取りみたいので否定してたなら最初からこいつ小説本気じゃないなと気づいた。
大江が芥川賞審査でいったのは、春樹は米文学のパクリだからダメでしょ、っていう日本文学独自論みたいなのだったんだけど。それでいうなら自然主義モドキの花袋から私小説系全部ダメじゃんとなるし、漢詩もダメだし、理屈は通ってないにしても、結局それって嫉妬だったんかい、となってしまうでしょ。
大江はね、全小説読みましたが、この人、文壇政治家だったんですね。だから業界ゲームに長けていた。でも作品の方は時代の淘汰に耐えられる質ではない。多分彼のベストは当人としては人気絶頂『同時代ゲーム』どころか泥臭い『飼育』なんだろうけど、どれ一つとして深い感情に訴えてくるところがない。
東大生が小説書きました、からはじまって、完全に箔で食いつないだだけなので、小説がしぬほどつまんないし、当時のガルシアマルケスだか誰だかからマジックリアリズムのパクリやっても、それって読本とかに既にありますよってだけで、所詮、輸入学問の体裁をとった衒学系の流行作家でしかなかった。
2chに当時、大江ぽいのもいた。大江当人かは分からん、これも例によって。あの頃、なんらかの調子でなんか作家が集まってたのかもしれないけど。まだネット黎明期に近くて。ジャネットとかいうのもドナキンぽかったし。前も書いたが。大江ぽいのは僕に中国で接待された、とか言い出したし。
当時の僕はうぶな青少年であり、今もそうであるが、余計そうであった。というか自分は『ドラゴンボール』や『ドラゴンクエスト』の世界観に生きていたので、純潔主義が当たり前だと思っていた。そしたら大江らしきのはそれをからかってなんだか知らんけども中国で性接待されたやでとかいいだした。
他にも驚くべき返答したことがあった、その大江らしき固定ハンドル。なんかで孝行っぽい返信を僕がしたら、「黙れ!」とかいって逆上しまくってきたのだ。これは水戸黄門的風土からみると信じられない言動で、こいつ君子どころの騒ぎじゃねぇとすっかり目が覚めた。孝行なんてされるたまじゃなかった。
確か、缶ビールを飲むのが趣味だとかいってた大江ポイのに対し(他の所でも言ってるから本当にそうなんだろうきっと)、僕の親戚のおじさんが同じ様にしてたがアルツハイマー病になったのを観察してたので、アルミとアルツハイマー病の関係が疑われてるっていう化学の話をしたのだ。決して断定でなく。
思うに、その大江ポイのは文系教育をうけて、化学はずっと苦手分野だったのに、その話をされて不快になってしまったのだろう。長老として尊敬されたい、それなのに不都合な話してくるんじゃねえやい、って意味で黙れ、なんだろうけど、余りに程度の低い言動だし意図だし、愛媛のど田舎ヤバイと思った。
2chって匿名の仮面かぶれるから、皆油断してる。それで普段は表に出せない内面を丸出しにしていた。僕は当時はたちくらいなので凄く冷静な目で、一体こいつらどういう人間かってのを地球より遥かに大きなスポンジに全部吸収していった。それは二度と忘れないだろう。どれもこれも大ショックだった。
まぁ余りにショックで、というか小説屋ってこんなに卑しい人達の集まりなのかと完璧に悟り、それ以来、自分はドンだけ頼まれようがたとえバークシャーの全財産渡されようが絶対に近づかない。こないだ、モギケンになんか出版関係者と開いてる塾に誘われたが、なるだけ巧くいって回避した。無理すぎる。
少なくとも日本の小説屋の業界って、冗談抜きで今すぐ潰した方がいい世界である。もう潰れかけてるが、出版社が馬鹿なもんだから見栄の為に維持しちゃってるが、そこに寄生してるやつらの生態ときたら、もう筆舌に尽くしがたい人格破綻者らの自堕落で、坂口安吾も大口あけてあんぐりびっくりである。
こういえよう。小説屋には半径8.611光年以内に近づくなと。今適当に検索したシリウスまでの距離だが。直径でもいいが。とかく関わったら負け。だって人間性が悪すぎるもん。僕はそれを2chで学んだ。最大の収穫だ。
柄谷行人ぽい(例によって当人か不明)のもいたんだけども、こいつものらりくらり。
でも、どうも柄谷の方がまだましだったと思うのだ。あの小説屋の面々は、倫理観というものを寸分ももちあわせておらず、綿矢らしきの(当人かは不明)にいたっては、僕が匿名野郎のセクハラ注意したら、逆切れしてきて、なんかセクハラされたがってたというか大喜びの様子で、物凄く精神的衝撃うけた。
教科書だと、さも京都人は上品どすえ、みたいに書いてある。なにからなにまで大嘘。驚くほどゲスで、というか人というより悪魔かなにかに近く、想像を遥かに超える下賎さであり、その綿矢らしきのはセクハラ注意した自分に口にするのも憚れる、最悪に汚い濡れ衣きせまくってきたのである。衝撃だった。
もののあわれ、なんてお為ごかして本居がいってたのは、完全に彼が本物の馬鹿だった証明だと自分はその時はっきり悟った。だからそれに影響されて日本人の枢要タームみたいに吹聴してるモギケンも、完全に勘違いしている。もののあわれってげすな京女が淫行三昧するための100%悪意の頽廃でしかない。
よくイケズ文化がどうとかいってるが、あれって京女という生命体のかなりの割合の本質が悪だという意味でしかなく、性悪説がそのまま通る集団が、とんでもなく治安悪い環境だった中世の大都市で遺伝的に生き残った証明である。そりゃそうだ。スラムを生き抜くには羅生門の婆さんみたいになるしかない。
人間性の最も汚い暗面を僕が感じたのは、その綿矢らしきのであって、僕の生涯でも最大のショックであり、それで京女恐怖症ってのが自分には植えつけられた。京都弁きくと寒気がしてきて吐き気が止まらなくなったり、京都と名のつくものはなんでも見るだけで凄まじい不快感で嘔吐しそうになった。
僕はそれまで、どうやら極めて善良な、というか善意の或る集団の中で育っていたらしく、要は水戸の徳川家の風土は、京都の風土とは180度逆だった。こっちは性善説による世界で、警官すら「人は放っておけばよくなる」みたいな世界観を素でいっており、多分親も教師も人の本質が善と信じていたと思う。
しかし京都という場所はまるで自分からみれば地獄そのものであり、どうやら人はどこまでいっても救われないほど悪意ある存在だという世界であるらしく、その権化が、その綿矢らしきのだった。自分は都内でも美術予備校にいた京都人1、2人を見知ってたが、特に女の陰険な感じはそういう事かと悟った。
カルチャーショックというのは、色んな国々の人々との間に感じたが、自分の過去の一生で、完全に自分を傷つけまくってもはや人間性の或る面を絶望させるに至ったのは、その綿矢りさらしき(当人ではないかもしれない)2chねらーの、セクハラとめた自分へ濡れ衣着せてくる陰湿で邪悪な態度であった。
春樹らしきのは、その後も、2chの匿名衆愚と群れ、その綿矢りさらしきの(当人とは無関係かもしれないが、言動自体は極めて陰険)と一緒になって名誉毀損の限りを何年間も自分へ尽くしてきた。しかし自分がやったのは、匿名でセクハラをしている卑劣な人を、一言注意しただけである。義務としてだ。
もっと詳細になにがあったか、当時の人達がどんな状況でどんな言動をしていたかも逐一、時が止まった様に覚えているので書こうと思えばもっと叙述できるが、それは別の機会にするかもしれない。ここでは紙幅があるので概略だけに留めるが、要は、自分は京都人が跋扈する都内小説業界に失望したのだ。
柄谷ポイやつは、こいつは哲学板ってのにもたまに出てくる感じで、のらりくらり、いかにも東浩紀に阪神タイガースの話ばっかする様な図体ぽく、当人ぽかった。実は新宿のジュンク堂でも明らかに柄谷当人だなってのを見た。ほか春樹の洋書コーナーから出てきた春樹当人ぽいのも僕は1度みたことがある。
正確にいうと、柄谷はあの図体でいまはなきジュンク堂のあの固い椅子で象みたいに本を読んでいたと思う。あっちはほぼ確定で、春樹の方は気取った感じでよさげな茶色のジャケットはおり自分の洋書コーナーから満足顔で出てきて、僕が隣を通り過ぎた。僕は当人ポイのに気づいたが一瞬で悟り無視した。
あのころの新宿は、2chと多分同じでなんらかの偶然で幾らかの作家らが集まっていた可能性がある。ほか、自分はジュンク堂と紀伊国屋によく京王多摩川から通っていたが、綿矢も僕がいるころ紀伊国屋の方でサイン会やっていたので、ついでにみた。アイドル気取っててなんかこいつ勘違いだなと思った。
因みにでもないんだが、僕は重要人物は直接会うなりみるなりにこしたことはないと思っており、それは直接みたときの情報量が莫大におおきく、特に直感が優れてる自分みたいなのだと一瞬で、相手の人格なり人間性の底までみてとれるからだ。妹島さんも会ってよかったし、ナラミチも池袋芸術劇場でみた。
妹島さんは非常に謙虚な人で、努力家とかいう次元を越えていた。前も書いたが弟子入りに行ってSANAAにいた自分が、代わりにカップ片付けましょうかといったら「いいです、自分でやります」といわれた。タバコ吸ってるのは将来の寿命や健康考えるとどうかと思ったが、ストレスがあるんだろうきっと。
ナラミチはこれも前書いたから省略するが、あそこまでなまってるというのか朴訥そのものの津軽弁なんだか青森の言葉だとは知らなかったのでびっくりした。インタビューとかツイッターとかだと割と標準語にされてるが、当人は言葉が訥々としかでてこないのである。あれは完全に青森人である。
あと自分がみてかなり実物とメディアイメージの違いにびっくりしたのは、藤原正彦という人。日立の講演でみたんだが、本だとかなりシモネタ書いてるエロジジイなのか? 武士道の右翼? とおぼわしく思われるが、当人は小さくまとまったかわいいおじさんおじいちゃんなどころか大層上品な人柄である。
つーことは、文章って内面の表現であって、文は人なりとはいうが、その人の一部でしかないのだろう。藤原正彦は表はあのか細い声で数学教えてんのに、内側には燃えるものがあり、それが迸り出たのが一連の著書で、品格啓蒙だったのだろう。鼻毛抜きながら微積分ちょろっと解くとか書かない方がいいが。
春樹にもどると、自分は15才の時、地元の今はなき「はまや書店」で『名探偵コナン』とか買っていた少年が、高校入って精神的に背伸びするみたいな感じで『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』とかいう漫画っぽいタイトルのを手にとって読み出して以来、授業を徹し全部読んだが、微妙だった。
その春樹ももういつの間にかおじいちゃんであり、今までみたいに性行為ばっかり書けないフェーズに突入した。何しろ男性機能がまだあるとは思えない。ほらみたことか。だからいったのだ、僕は。上品な物を書きなさいと。アリストテレスがいう通り、永続する快楽とは理性のそれなのだからね。
多分、春樹(らしきの)はこう反論するであろう。川端だって最後まであのわけ分からんエロ小説かいてたじゃないかと。しかも少女に添い寝される爺さんの謎作。しかも自殺したし。それと同じで妄想書いてんだから夢なんだからいいじゃんと。知らんがな。僕は性行為まだ公に書いておらず書く必要もない。
そしてだ。自分はあんたら小説屋に完全に呆れたどころか恨みを超えてもう完全無視する事にしたので、どっちかなら詩を主戦場にするという大胆不敵な戦略をとうに実行済みである。なにせ人類史全体でみたらそれが王道だったのだし、君ら売文近代小説って完全に徒花だったから漫画に地位奪われただろ。
詩人でもいるよな、名前なんとかってやつ。出版屋とつるんで俺の近所の高校の校歌かきおろしたり。そういうのもいるよ。でもそれって純粋文学と関係ない。宮沢賢治記念館でみた。手帳に書いていたのだ、彼は。本来の詩ってそうあるべきだ。なぜか北秋田の図書館でみたが、売る為の詩集とか要らない。
君ら売文詩人屋もな、多かれ少なかれ出版屋の手先である。だから君らとも僕は絡まないし、会わないし、関わらない。孔子がいった。道同じからざれば相為に謀らず。君ら出版業界人はね、わたしと目指す道が違うから、関わらないでほしいしこっちからも永久に関わりに行く事もない。
綿矢はな、これは当人だが、アイドルみてーに売文してチヤホヤされたかったのかもしれないね。現物みたかぎり。でもあれも、僕とはまるでめざす道が違うなと感じたよ、紀伊国屋でちらっとみて。俺は死んでもあんなのしたくない。
俺は聖人以上の存在になって当然だと思っているのだからな。
文学とはいかにあるべきか? それはわたしを読む後世が既に知っている事だ。そして彼らは、わたしを通じてしか、今挙げた連中を誰も知らないかもしれない。というか多分そうなるだろう。それがな、俺が君らに名誉毀損されまくった真の復讐です。純粋な文学で勝つ。それが真の戦いの結論ですからね。
自分はいかなる犠牲も甘んじ復讐させてくれと神に毎晩祈っていた。何年間も毎日だ。なぜなら、俺は100%善意で、何の曇りもなく、しかも公的に正しい方法で、つまり正々堂々と実名を名乗りつ、匿名卑怯者のひとりにその犯罪をやめるよう忠告したのみ。結果、神というか自分自身の知性が、俺にいう。
「君のした事は確かに正義の行いだ。だが、連中は正真正銘の人外であり、東京という腐敗した町でカネに浮かれそやしている。ソドムを神が亡ぼした様、やつらの末路もみるまでもないだろう。一々お前が手を下すまでもない。自分が尊い仕事を完遂させるがいい。三流ではなく立派な古典作家に見習うのだ」
君らのな、信じているその現代小説とやら。どれもこれも未来からみればゴミ。なにしろ俺はそれ以上の鑑識眼を身につけることになった。さもなければ復讐できませんからね。
正義はわずかなりともゆがめてはいけない。正義がなくなれば人の世は動物同然なのだ。
自分こそがこの時代の代表的文学者。
孫子がいいました。精鋭に攻撃するなと。僕がね、古今で最高の精鋭だったと証明する。既にそうしているが。だが、自分は徹底して復讐するだろう。お前ら同時代でつけあがっていた小説屋ども、自分にどれほど汚名を着せたと思っているのだ? その報復にはどれだけ自分に美名があっても足りないほどだ。