2020年6月14日

反日ネタの正体

一体、「反日」ネタを本気で主張する様な人達ってどういう脳のしくみをしているのかだが、これは一定以上のIQの人には本気で理解できてないと思う。
 ブログのアクセス解析みたいなの見てみたら反日ネタ? みたいのからリンク流入があって、勝手に記事が意味不明な反日ネタサイトに転載されていた。

 勿論、私含め一定以上のIQの人は反日云々は完全にネタだとしか見えない。母国に長短あるなんて当たり前すぎていうまでもなく、それを妄執的に崇拝することが本気でできるなんて信じがたいからだ(より正確に言うと、ある対象の長所短所を主観的に判定する限り究極では個人の偏見、思い込みの問題でしかない)。動機もよくわからない。150年前の福沢諭吉ですら、愛国心は植民地化防止の手段程のものだと書いていた。
 一言でいうと、妄執は認知エラーなのだろう。健忘症の年寄りが簡単なこともすぐ忘れる様に、ゴードンハドソン論文によればだが一定以下のIQの人に多い可能性があるが、ある人にとってその種の単純な認知分類に物事をあてはめ、自己崇拝するのが当為になってしまう。他の動物の気持ちはよくわからない。それで、反日ネタを本気で信じている人達、いわゆる自称愛国者達だが、この人達は分析的にいえば本当に有害なのだろうと思う。何しろ認知エラーを起こしている時点で問題なのだが、それによって国内外に無意味な差別をまきちらしてしまうのだ。存在自体が公害だといってもいい。愛国者は害なのである。

 福沢『文明論之概略』は愛国心を偏頗心と定義、飽くまで植民地主義へ対抗的なものと用途を限定している。次の時代では無用になることを見越していたといってもいい。
 そしてその時代が今で、全球主義にみられるよう多国籍企業間で自由貿易が生活の前提になっていて、移民と混じり民族も多様化する。

「反日」レッテルを得意技の一つにしている自称愛国者達は、こういう意味でとうに時代遅れになってしまった哀れな人達といいなおしてもいいだろう。明治期にも丁髷を結わえていた人達が笑いものになった様、今愛国者ぶる事は恐ろしく古い服装に他ならない。それに気づいていないのは当人達だけである。
 この意味で、イギリスのブレグジットとか、アメリカのトランプ政権とか、勿論自称右翼の安倍最悪政治の類も、完全に馬鹿げている代物だと考えていいだろう。これらは当然進むべき未来への反動に他ならず、文化多様性への桎梏であり足枷である。だから愚かな国民性が明らかな地域を証拠だてているだけだ。

 反日といういわゆるネット右翼用語は次の時代からみれば、攘夷論程度に失敗した潮流扱いされているだろうが、困ったことにわが国の自民党政権だの皇室だのの存在は、これらの暗愚な連中にある種のお墨付きを与える構造的要因になっている。無論それは不良の旗印でしかないので彼ら権力も同罪なのだが。