あるプログラマーぽい静岡人が、六本木ヒルズ・森美術館での『STARS』とかいう展覧会のツイートにぶら下がってて、草間弥生のもこもこボートみたいのに
「コロナの中でこんなの見る価値あるの?」
っていってて笑えた。
確かに基本、全くないと思う。そういう意味で現代アートは全体としてゴミだと思う。
このスターズって展覧会は、確かに美術雑誌的には欧米ウケした日本人って意味での頂点を集めてんだろうけど、それの粋がコロナで命失うリスク犯してまで必見じゃないのは明らかなんだから、欧米中心主義の現代アートがガチの聖地巡礼みたく命かけてまでみるべき作品を生み出せてないのは間違いない。素人目線で
「は? これが現代のスターっすか?」
っていわれて、当の美術家の側は逆切れしまくるんだろうが、僕が第三者としてみても、ガチで素人の肩をもたざるをえない。だって命よりしょぼい作品しか生み出せてないのに、命がけで見に来てくださいっておかしい。本当に失礼な話だと思う。観客に。
結局、天心にたちかえると、精神がダメなんだろう。本当に命をかけ、命超えてまで是非みなければならないものを生み出そうとする気負いがない。明日死ぬと分かっている人が、『KOKOちゃん』みせられたらゲンナリする。草間、奈良はまだ癒し系ネタだからギリお笑いでも、杉本は流用ネタ写真にすぎない。イーウーファンはまあモノ派のネタだけれども、飽くまでコンセプチュアルなガラパゴス美術だから知性に訴えるだけで、感動を呼ぶ代物ではない。一番ましなのが明滅などで象徴的に永遠性を扱ってる宮島達男だけれども、六本木ヒルズのツタヤ前にあるしね。
総じて欧米基準のエセ加減を明らかにする。
死ぬ前に誰かがみるべき美術としては、どっかの美術館にあったロスコルームみたいなのだろう。三面が真っ黒のやつ。あれが崇高すぎるなら、モマのモンドリアンのブギウギか。他今色々考えてみたが特に思いつかない。大観の生々流転はコンセプトは別として長すぎて疲れると思うし。
美術館じゃなくてテキサス州ヒューストンのRothko Chapelだった。崇厳な死の象徴としては最善の部屋じゃないか、知る限り。