2020年2月8日

異文化盗用のバサラ文脈

ジブリファンの或るフランスの女性とか、日本側の文脈が分からないからフランスだと異文化尊重キャラでかっこよくみえてるんだろうけど、日本からみるとただのアホにみえるんだけども。その辺が、サブカルの持っている本質というか、子供や大衆に分かり易くへつらってて恥ずかしい物という構造がある。
 ほぼ似た事は外人が浮世絵をやたらほめてると感じるのであり、あれも江戸の町人芸術だったから出自が卑俗なので、恰も日本代表の絵みたく内外で誇られると地元にあたる東京人除いて基本的には困るわけだ。アメリカ人にノーマンロックウェルを米国代表作家だといったら同じ様な反応返ってくるだろう。

 問題なのは、サブカルなり大衆商業芸術のだいぶ卑俗な出自をわかってて扱ってないところで、わかってて扱うならまだ傍ら痛くないのかもしれない。極度乾燥(しなさい)がアンダーカルチャーと「わかってて」ハイファッションの一部にとりいれるみたいな。しかし分かってないと素でアホにしかみえない。

 ということは、外国かぶれの一部なり大部分は、似た様な文化盗用的勘違いを多かれ少なかれしている傾向にあって、自集団内ではその傍ら痛さに気づいてる人が少ないので輸入学問的薩長的鹿鳴館的天皇的偽物になりさがって羽振り利かせているわけだ。異文化をまとったバサラな自称先端人間として。