2020年1月19日

文化多様性の無知

よく欧米かぶれの人がやる方法として、日本語の中に一つとか2つとか難解な西洋語を入れて、権威づけする。この悪慣習は明治期の西軍がもってきたものだと思うし、自分も春樹の文体に影響されてた頃は全く真似てなかったわけともいえない。
 がより外国語学習するといかに馬鹿げた俗物根性か悟った。
 なぜかなら、英語母語の人達が全く相似のことをしてる場面みると、非常に幼稚なのである。例えば「極度乾燥(しなさい)」や「sushi」「otaku」の使い方など。こっちの日本語の一部をきりとって向こうで権威づけて使ってる節があるんだが、本来の意味とずれたり、権威がない言葉を偽装してたりする。

 奈良時代の時点で漢語や朝鮮語の大量流入があったときもまったく同じ現象は起きていたと思う。
 ナラもムツも当時の奈良人が朝鮮語を借用し、かっこつけ出羽の守演じてつけた名義であろう。最初から日本に住んでた人達が自分の土地をムツ(朝鮮で奥の意味)なんて自称するはずがないし、しかも朝鮮語。近畿中華思想だ。

 一番典型的だったのが、kimono騒動。女性用下着に或るアメリカの芸能人が、着物と名づけて京都市長の門川大作氏がはるばる文句つけにいっていた。これは傍ら痛かったのだけれども、だってなんであんたが日本代表ぶるの? と高が市町村長なのに大いにでしゃばってるからなんだが、出羽の守の逆に痛い。
 キモノって別に西陣織の名義なんじゃなくて、語源解釈としては「着る」+「物」で、もっと一般的な名詞である。京都ブランドどすえと思い込んでるところが傍ら痛い。なんでも京都か。
 すなわち、日本語としては洋服入ってきてからキモノが和服の代名詞扱いになっちゃっただけ。下着も着る物だろう。
 しかしそのアメリカの芸能人側は文化盗用批判でひっこんでしまった。これもまたネットサブカル的な文脈だと自分は思ってる。だって美術、立派な芸術だと文化盗用、流用ってとっくの昔から当たり前みたいにある。大体、日本の本来の絵は茨城の虎塚古墳壁画みたいなのなんだけど、大陸まねて変化した。

 僕はこのとらづか壁画は日本美術史では最上位に位置づけられる傑作のひとつだと思っていつも感動してるんだが(特にトラス状の模様を入れてある天井部分が、建築学んだ現代美術家以上の発想にしかみえない。ほかの模様も単純ながら楽しげですごい)、ここからみたら雪舟雪村あたりの水墨画も中国の影響を受けて大分、流用はなはだしい手法である。
 その後の変遷も大半が、文化盗用抜きに語れないのは間違いない。
 さらには、そのキモノとやらも、もともと日本の純粋なものではない。だって呉服といわれていたよう、中世の海外、中国風の服だったのである。呉のほうは亡びたから日本の側にだけ古い服装文化が保存された。岡倉天心のいう「文明の博物館」としての日本の位置づけ。
 つまりキモノは文化盗用なのだ。

 門川氏の傍ら痛さは、まあ民間人が皇族くれとか江戸から昭和の代までなら尊王浪士にやられかねないいつも似た様なトンデモ質だから指摘しないであげようと思ってたんだけども、偶然出てきたのでここで批評しておくと、呉服ふくめ京都市なんて文化盗用都市なのです。縄文系じゃない。渡来系長安パクリ。
 平安期以前の京都市に縄文遺跡なんてない。僕が調べた限りで毎度かいてるけど『徒然草』に、今の京都のあたりでは山に蛇がとぐろ巻いていたと書いてある。そこを開拓したと。
 ということは未開の土地だったといっていい。既に関東や東北には西日本は噴火で潰れてしまっていたが、大都市あった。
 一番大きなのの一つが、いわゆる毛野国、あと遺跡の規模だと青森でかい。ということは明らかに大都市圏だったのは縄文系だったのを、弥生人が入ってきて、その後にも木津川市の高麗寺跡だの秦氏(百済人)の広隆寺だのが残ってる以上、京都市は条里制ぱくった文化盗用的な朝鮮移民地区だったのである。
 京都市が自分達は「昔から」文化的だ~とか自慢しているのは、まずもって全部、中世に文化盗用したものである。朝鮮から。それ以前の昔は、人として存在しない。あったのは蛇たちの文化である。それなら自分達は「昔から」蛇の文化だというべきだ。それなら偽りはない。
 土偶自慢ならまだわかるが。

 呉服は所詮中国のパクリであるのに、それをさも自分のオリジナルだといいくるめる手法は、ネトウヨ用語でいうウリジナルというやつなんだが、この場合、さすが渡来系というべきか京都人もやっている。だからいったのである、傍ら痛いと。
 ここまで正面きって批判してくるやつ京都にはいないだろう。

 でね、僕は実は文化盗用は悪だとは寸分も思っていない。だから京都市長の門川さんが、呉服は京都ブランド(苦笑)だからプライドが詰まってんですよと。そんなの安直にぱくったら伝統産業に害なすからやめろと。いいたいことはわかるんだけど、ウソついちゃいけない。呉服パクリですけどと加えるべき。
 呉の本場はなくなっちゃったんですと。だけどドイナカの京都には、山奥ですから残りましたと。極東の外れの孤島だし、井の中の蛙でいばっていたから、外で廃れた中世服が権威化されたんですと。これまで言った上で、キモノは語源からずれて、呉服の意味ですので、gofukuはどうどすえ? ならわかる。
 僕にいわせると、京都人がやたらめったら伝統文化が~とかいうのは彼らの移民としての優劣感の裏返しである。だってこっちからみると、5億年前の地層から古代、中世、近代を経て今に至るまで一貫した文化の潮流があるので、たかだか中世京都だけが日本文化ですといわれると違和感しかないんどすえ。

 で、冒頭にもどると、「出羽の守」ってのはうらがえせば「いなか者劣等感」に帰着する。これは表裏一体であろう。だってその出羽の守の対象国・地域は、それはそれで一種のいなかなのである。ロンドンでもニューヨークでもパリでも、極東事情なんてさっぱり知らない。いなか者劣等感もつ人がおかしい。
 逆に、「中華思想」ってのの裏面は「世間知らず」である。京都市民とか東京都民がこれにあたる。かれらは茨城やカナダやノルウェーやチベットの事情なんてさっぱり知らないのに、知ったかぶる。それで日本はもうわかってるから~とかいってるが、その日本って彼ら京都人東京人自身の自己中でしかない。
 出羽の守いなか者劣等感キャラと、中華思想世間知らずキャラの2タイプがいる。前者は欧米系輸入学問大好きの旧帝大系学者。後者は京都市洛中人(上京区民)や東京千代田区民の一部が典型例である。勿論全員が、とは言っていない。一般化した傾向だ。
 これらの種類の人達は常に文化差を差別に使う。
 それで、かれらは欧米系言語(特に国連常任理事国がわ、旧連合国の言葉)を、大上段にふりかざす。このいなか者日本人が! といいたいわけだ。
 ところがこれは文化盗用である。もし和製漢語みたいに欧米語を日本語化してるならまだ理解できる。それは立派な脱構築でありオリジナルな営みだろう。

 春樹がカタカナ英語を連発する。コミットメントとか。献身でいいだろ、って話。特に意味がずれてるわけでもないのにカタカナ英語でいいたがる。理由は「このいなか者日本人が! ウチはドエライ欧米通やねんで! ひれ伏せや!」というわけだ。古代から今まで常に通俗関西人の行動はこの通りであった。
 関西人は関西人でも多少ましなのは、わざと古語の純系奈良弁を使って対抗していた。それが有名な「かな文」である。今読むと逆に分かりづらい。反抗も行きすぎがある。漱石がいうとおり、わざとヤマト言葉(渡来言語除いた古代奈良弁)だけに限定して語ろうとすると語彙が足りなかったり間延びし易い。

 実は、出羽の守いなか者劣等感キャラも、中華思想世間知らずキャラも、どっちも兼ねてるのもいる。いまでいう殆どの都民なんかこれであるから、都外の文化なんてなにも知らないのに、しらないそばから自分はドエライといいつつ、都外は田舎いと連発している。しかし彼らの誇ってるのはサブカルである。
 つまり都民一般も実に傍ら痛い。しかしこの場合、傍ら痛いを通り越して迷惑である。だって日常的に、彼らの品性下劣な低俗サブカル自慢しながらそれをまきちらすだけでなく、こっちの立派な芸術を最大限に辱めてくる。しかも文化学をなんにも分からずに、ただの頭の悪い偏見や差別意識からである。

 結局、望ましいのは、出羽の守中華人になることなく、色々な文化の差についてできるだけ知るよう努め、それだけでなくその差そのものを楽しめるのがいいのである。
 僕の専門のある講師が言っていた。世界中で色々な建物があって、どれも同じでないほうがいいに決まっている。落語好きな講師だった。
 これは建築様式でいう国際様式を批判しての説であり、居残って勉強というか課題やってた僕へ、1対1で指導してくれた時に仰ったせりふである。彼は暗に、東大建築閥を批判していた。当時はやりの安藤建築とか指していたのである。関東弁でいえばどこでもコンクリ詰めにすんじゃねえよとの意味である。
 だいぶ江戸っ子的講師であって僕がいった工学系日本最古の私立大(工学院大、旧山手学校)で、おそらく一番古くからいると思われる講師であったからして、彼がいいたい文脈は実に含意に富んだものだったのだが、僕にしかその真意は伝わってないとみた。もうその専門はない。文化多様性の教え。

 今後も、日本という国の後釜がのこったら、未来の時点でも井の中の蛙批判しだす「出羽の守」と、なんもしらんのに自分が上といいたがる虚勢しかない「中華人」と、その混成物である「俗物」が無数に出現すると予想される。
 先にいっておくが、これらの人々は無視するがいい。文化多様性の無知だ。