2019年12月23日

サブカルは反面教師

さっきというか今しがた、極めて重要な発言をツイッター上でみつけた。自分の人生観をだいぶ変えるかもしれないし、どちらかといえば悪い意味でかもしれないが、審美論や画業の根底に迫るなにかを教えている可能性もある。
 ある同人誌の絵師(この用語は浮世絵・春画の延長上にあり、画家と差異化できていいと思う)が
「自分が自慰したくて(同人誌・エロ漫画を)描いてるだけ」
と囀っていた。これは自分には本当にびっくりで、薄々感じてはいたものの、やはり彼らはそんな下賎な動機だったのかと大変な文化衝撃を受けた。

 自分はこの発言を生まれて初めてきくまで、つまりさっきまで、
「一体なんでこの東京や京都とかの人らは、こんな意味不明で品性下劣な性表現だの、頭が悪そうな漫画アニメ描きまくるんだろう? わざと大衆に媚売って金儲けたいからやってるのかな?」
と全く理解できなかったが、漸く意味がわかった。
 全く同じ事、つまり絵描きは自分のイデアを写し取っている、故にその人の人格的気韻が画にそのまま反映されているという大観の原理を演繹すると、いわば下衆なサブカルの数々(自分にはほぼ意味不明)は、まさに下衆な人達が彼らの下衆根性を写し取ったものだったのだ。今の時点で気づけてよかった。

 自分はいわゆるファインアートの道を15の頃行こうと決めて今まで約20年間、まず脇目ふらずたった一人で突っ走ってきた。途中では日本社会だのそこに溢れたいろんな人達から凄まじい妨害をうけたのだけれども、全て知恵と勇気できりぬけた。
 が、ツイッターを1年前に本格的にやりだしたら、ファインアート(純粋美術)の多少ましな話題してる人は、自分が掘りまくっても全体で1人しかいなかった。実名だすと問題ある(これから説明する)かもしれんからAさんとする。がこのAさんも作品自体はちょっとダメな人である。はっきりいうと三流。
 でAさんに絡んでみたら相手が発狂してしまった(よくある。なんというのか、もしモンドリアンとマカルトがツイッターで会話したらマカルトはすぐブロックするみたいなもんで、ガチ系ファインアーティストは同時代美術家とだいぶ違うさがである)。で仕方なく他の情報みてたら同人誌連の人気が凄い。

 それまで存在自体は情報としては知っていたものの、全くその種の人達がどんな人生を送り、どんな世界が広がってるか自分はまるでみていなかったので、大体半年くらい業界を観察した。で大変おどろいたのだが下賎きわまるエロ漫画(時に児童ポルノ的なのとか)に1万とか5万とかイイネがついている。
 まあ現時点でもその現象には理解が及ばないのだけど(なぜそんな品性下劣なものにイイネするのかもわからなければ、そもそもそんな絵を進んで描くのも一切わからんし、わざわざ猥褻物陳列・頒布罪とかのリスクとって撒き散らす方はもっとわからん)、動機のほうは上述の驚くべき囀りで完全に把握した。
 村上隆の弟子のミスターは同人誌のファンだったらしく沢山かいあさっていたと隆が本に書いてたが、この2者についても、もし大観原理に照らすと、なるほど、と納得がいく。隆が自慰像みたいな如何物エロフィギュアをまきちらすのも、ミスターがオタい少女をばらまくのも、彼らの気韻の反映だったのだ。

「サブカルとはなんだったのか」まで論を敷衍すると、すなわち東京都民や京都府民といった商人集団が、多かれ少なかれ下品であるばかりか暗愚かつ幼稚な頭の中身をまきちらしていた低俗な商業美術、というのが正体だ。しかし彼らは愚かゆえダニクル効果により、自文化中心主義に耽り偉そうにしている。
 こないだ京アニ炎上があり東京圏の自称文化人(名前を挙げればきりがないが、いちおう社会的体面で、つねづね大変偉そうにしている人達。大抵は旧帝大閥とかで)の面々が、ろくにしりもしないくせ京アニは日本の宝みたく口を揃え誉めそやしはじめ、僕は心底うんざりしたが、それも彼らの気韻だったのだ。
 そもそも彼らは「大衆商業芸術」、つまりポピュラーなコマーシャルアートに魂まで漬かりきっていて、その外に純粋美術やらアウトサイダーアートやら民芸などなど、全く違う世界があるとは想像もできなくなっている。文化的井の中の蛙なわけである。おそらく江戸時代の江戸や関西町人もそうだったろう。
 彼らは春画とか浮世絵、黄表紙など当時のサブカルの内部で批評空間をつくり、その間での微差を本気になってああだこうだいいあっていたはずで、それは今の東京圏とか関西圏の自称文化人らに於いて全く相似というか直系末裔である。彼らの中で大和絵、水墨画とかは今の抽象画みたく無視されていたのだ。

 ある意味で場所取りの話にすぎないのかもしれないが、じゃあ僕が東京で威張り散らしてかねもうけてる大人気の同人絵師みたいな絵を描けといわれてもそれは描きたくない。全ての意味で。美術をうみだしていない人達からみたら似た様にみえてんのかもしれないけどまるで違う人間が内部に生きている。
 リヒターが自分で撮った森の写真ひっかいて、小雨降ってるみたいなプリントを相当する値段で某画廊でうりつけていて、それのなにがおもしろいの? と、多分というか絶対まちがいなく同人絵師にたかるオタクの73万人は感じるに違いないのだけれども、僕には嘘抜きで、ガチでかなりおもしろいのである。(イリュージョニズムとリアリズム絵画の間を、フォンタナみたいな抽象的ひっかき傷の文脈で繋げて、へえ、みたいなのはちゃんと調べれば誰か解説してると思うから詳しくいわなくてもいいだろうし、いずれ教科書とかで解説してもらえるとおもう。要はハイブロウなファインアートは硬質なものなのだ)

 結局、自分は日本という島国では永久に、漫画アニメ同人誌みたいなTHE東京京都のサブカル界に属する事もできなければ、全く違いすぎる部族みたいな感じで、彼らの考え方の殆どは理解できないんだなと先ほど悟った。1年くらいとはいえ本当に無駄な事を調べたもんだ。サブカルは反面教師にしかならぬ。