2019年12月24日

国学の系譜からみた共和政論

本居と秋成の対立は、例えば式部と孔子を対談させたらもっと原型で再現されるものだろう。なぜ彼らは斯くも異なる意見を持つに至ったのか。
 式部は道長の一近侍として、政略婚の為の婚前交渉が皇族近縁の公家間で常態化している場に育ち、当時の山城国界隈の現実から儒教道徳を脱構築したのだろう。
 孔子は若いころ結婚し子供もいたが彼らのその後の消息は不明、「女子と小人とは養い難し」と言い残しているところをみるに、決して家庭生活の面で充実していなかった可能性がある。儒学者らは彼の「男女7歳にして席を同じくせず」を延伸し男女の別を説きだしたが、本質的に君子の理想像は男性だった。
 式部は藤原摂関体制では、男系の天皇家と婚姻可能な女官のほうが出世に有利だった条件下で、「大和魂」の語により孔子の君子道徳を批判しているといってもよい。それはのちもののあわれを知る心と本居が定義したよう、根本的に男女の別をのりこえたものだし、理性に対する感情の優越をも示唆している。
 このため式部と孔子が直接対談したら、勿論互いに意見が合わないにしても、特に式部のほうは清少納言の陰口を日記に書いているよう陰険な面もあるので、表向きは孔子をたて見つかりづらい形で中傷するかもしれない。京都の文化ミーム中にはこの種の業が伝染していて今も大いに陰湿なのが経験的事実だ。
(『徒然草』で兼好法師は、社会的体面を保つため京都人が婉曲的な建前を使わざるを得ないので、外からみると不誠実にみえるが必ずしもそうでない、と或る関東から京都にきていた僧の発言をとりあげている。その種の公家風儀がいきつくところイケズとなり、自文化中心的な裏表の激しさにもつながる)

 孔子のほうは大和魂の考え方をきいたら、おそらく彼の『詩経』好きに還元し少々理解は示しつつ、「礼の用は和を以て貴しと為す」とある『礼記』の旨を前提に、和やかな感情が大事なのは礼儀作法があってこそ、と限定的にしかもののあわれの真義は認めないとおもう。そしてそれが中国哲学の正統解釈だ。
 こうなってくると、秋成は式部について地獄に落ちた極悪人とみなす中世儒学者らしい解釈をしていたが、孔子自身の考えとは少しずれがあるのではないか。孔子は藤原政治をみたら堕落した国だと思うに違いないし、天皇に一言二言小言をいっても傲慢で変わりようがなかったろうし、すぐこの島国を去ったかもしれない。
 孔子からみれば式部は浅学の徒にすぎず、式部からみると孔子は出世街道から進んで降りる短気な部外者の説教爺さん(又は血気に逸る若者)にしかみえなかったであろう。当時のネトウヨ本居は、孔子より式部をナショナリストとみなし過剰評価している節もあるが、孔子と式部は別の理想をもっていたのだ。

 興味深いのは、徳川光圀の出現であり、孔子にも式部にも(一流の学者なので『源氏物語』も恐らく知っていた筈だ)学んだ上で、天皇の次官に全責任がある、と第三の立場をもちだした。こうなると大和魂も礼和も「君君足らずといえども臣臣足らざるべからず」と、為政者のほうに理想の実践が求められる。
 今日の国政が象徴天皇制に行き着いたのはジョンロックの考え(王権神授説の否定)をGHQがもちこんだからともいえるだろうが、より自生的には光圀の理想によっている。この体制下では大和魂とか礼和とかは、天皇以下の公務員らが実践しなければならず、要は君主がどうあれ首相の責任ということになる。
 無論この体制も、摂関政治は遠い昔であるよう別の何かへ未来では変化しているだろうが、翻って今日の首相はどうか。孔子がみたら徳の廃れた三流国と断定するだろう。式部がみたら議員らの不倫だの溺婚発表だの、小室との恋だの、記者強姦までもをやたら美化したインスタまんが出版で受けねらうだろう。
 本居は「まあいいじゃん」とネトウヨ全開な鈴乃屋チューブで虎ノ門ニュースよりやばい安倍系の不倫議員礼賛をくり返している筈だ。当然ながら伊藤詩織さんを「あわれなりもののあわれを知らぬ者西洋心に山桜花」云々と和歌でディスり、ツイッターリベラル勢から総攻撃うけブロックしまくった筈である。
 秋成はあの自殺した岡山出モリカケ公務員にやたら同情し、生霊が官邸に出る物語を、固定ツイートのアベガー序文を導線に、無料シーサーブログで書いてた筈だ。光圀は茨城の山奥から大著を英文で書き続け世間に一切姿を現さず、部下(助格)が「韓国高野家の墓なう」とツイート(いいね2つ)したろう。

 こうして振り返ると実に下らない議論をしていた様に見える。国学なんて思い上がった都民が身びいき偏見こじらせた東京スゴイ日本スゴイ(そして暗に46道府県ディス)ネタの変形版ともいえ、もはやカルチュラルスタディーズの一端でしかないし、根底にあったのは福沢のいう偏頗心だったのではないか。

 皇太子(王子)だった釈迦は国を捨てて出家し、やがて苦行を諦めた果てに、悟った人ことブッダと呼ばれることなったが、わが国の皇族は憲法の終身在職すら守らず勝手に上皇とかいいだし(現憲法で存在自体意味不明)、なお地位にしがみついている。なんという違いか。もと象徴は法を守るのか現人神か。

 光圀は式部と孔子をのりこえた学者だったといえるが、では自分も巨人の肩にのって、象徴天皇制を否定しなければならない。首相だけでなく天皇も法を破るのに民に遵法を命じるのは矛盾である。法治も人治もできぬなら、国をどう治めるのか? 大和魂も礼和も大義名分も役立たない。共和政は今日可能か。