2019年10月12日

なぜ僕はツイッターが余り好きじゃないか

ツイッター1年間やってみたけど、返信やDMあけといても全然役に立たないし9割以上が誹謗中傷なので、全くその点では使い物にならないと感じた。民度的には2chと同じと思う。匿名可だと日本人はダメなんだと思う。
 それなりの東京テレビ有名人みたいなのも実名でいるところが違うが、その人らはほぼ全数ブロッカーで閉鎖的だし、正直いって一流の人物とは言い難い。トランプがはじめてたから注目したんだけど、参加してみると民度は想像より遥かに低かった。政治家が大衆向け宣伝に使ってただけだった。

「ツイッター民」としかいいようがない、あるコミュニティとまではいかない同調民族みたいなのがいるのだが、その人達の気持ち悪さは果てしなくて、とにかく下らない俗悪ツイートにはいいね・リツイートを連打してるんだが、重要で知的な中身であればあるほど拡散されづらいのは間違いない感じだった。
 いわゆるテレビ系・文化人系とかツイッター有名人に絡む実験も色々なパターンやってみたが、大抵のそういう人らって単なる俗物なんだというのがよくわかった。よく考えてみると有名になりたがってそうなった人達なんだから当然なんだけど、間近に接近し心魂を確かめてみるまでわからないものだ。
 ピグの場合、日本語読める外人が少ないから、外人がいると見た目にみえているし英語で話になるので、その場合はそれなりに貴重な会話ができた。だがツイッターはまず一度もそういう現象が起きない。各言語圏に分かれてしまってて、日本語読める外国人らしき人もなぜかツイッターだと下衆が殆どで質が低かった。考えてみると日本語を学ぼうと考える外人は、アニメ漫画から入ってきてるのが過半だろうから、サブカルファンな時点で無教養・ロウブロウな系統だから、知的水準が高い可能性は余りないであろう。というより日本に来たって相当の馬鹿ばかり中途半端な日本語ができる状態になってしまいがちであろう。まあ偶にみるのは、最初から日本男蔑視・日本女贔屓ばかりしてるインチキ大学教授の白人男みたいな、明らかに倫理的な質の低い人とかで、当然世界はそんなのばっかではないだろうが、自分が観察しまくったツイッター内ではなぜか殆どみあたらない。
 これらを省みるとツイッターはSNSではないのではないかと思う。これはもともと超短文ブログだったのだ。私は最初期からロム専でそれなりにみてたが当時の方が、日記ですらない日常呟きキャラがわんさか生息していた。大体ブログでもだが商人が乗り込んでくると、情報の質が悪化して終わるもんだ。
「アフィカス」という蔑視語の批判は、ツイッターでも全く同じ現象があるのは確かの様に感じる。つまりは当人がアフィリエイトでかねもうけする為の情報を流す種類の人達は、ミニブログ日常系さえずりなんて全然してくれないし、しても嘘臭いし、企業アカも政府アカも似た様な劣化版の偽情報なのだ。
 あと、軟派系の人達の動向も色々観察し、ツイッターは出会い系に使われる場合もあるのかもみていたが、こんなの自分から淫行アカウントみたいなのにDMするとか、リアルで相当特殊な人気があるとかじゃないと、まともに出会い系にならないんじゃないかと思う。別アプリが今あるだろうし意味ないだろう。

 じゃあツイッターって何に使えるの? 何が目的のサイトなの? ということだけど、はっきりいって初期から今までこのサイトは色んな方向に迷走しまくってて、収益化もうまくなくて、運営的にもBANが恣意的だったり、発展途上な上に使い方が定まってない状態といえると思う。混乱してるのである。
 特に、日本語ツイッターは、恐らく別言語圏のよりガラパゴス化がいつものことだが激しいと思う。なぜなら匿名偽名アカウントだらけでその人達は、基本的に同調誹謗マニアで2chねらーレベルにたちが悪いからである。日本人一般は心が弱いのか匿名可の条件だと確実に悪さを、しかも集団でするものだ。
 自分の1年間のツイッター史を全部かえりみても、ほぼ匿名衆愚に、わけもなく誹謗されまくった思い出しかない。これは2chでもピグでも同じだったが。とにかく荒らしが発生するとそれに悪意で群れるのがTHE日本人だから、これはフェイスブック化し実名と一対一で対応させ、罰則つけるしかないと思う。

 あと、ロム専だと気づかないこととして、ロムしてる範囲では善良そうにみえなくもない人(特にツイッター有名人)に、ツイッター上で具体的に絡んでみると、とんでもねえ下衆だったという経験を何度もした。これはやってみないとわからない。ツイッター民度って参加してみるとロムで見えるより低い。
 恐らくだが、マスメディア有名人全般にも全く同じことがいえるし、いわゆる確立した分野のほぼ全域がそうなのではないだろうか? 参加してみたら見ていたより民度が高くてびっくりした、という経験は、今の所どこでも1度もしたことがないので。遠勝りばっかである。ツイッターも全く同じだ。
 自分の1年間の思い出としては、具体名あげていいかわからんから出さないけど、あるツイッター有名人に毎日絡みまくってたら気に入られたかなんかで塾かなんかに誘われたのだけども、私は極めて引っ込み思案なので当然いかなかった。ノーベル賞授賞式も先ず行かない。尤もこれはそれなりに驚いた。
 あと高校の同級生にDMしたかなんかで返事がきて会話したのだけども、その内容もそれなりに驚いたというか、まあ僕自身が人見知りしまくるのであんま仲良かったともいえない同級生なのだけども、ツイッター以外なら会話しなかったろうなと思うので、文通できる状態になってたからやりとりになった。
 まあ他には色々な理由で一時的に愛のDMみたいなのをあるピグの知り合い(女性)にしまくってみたら、相手が心臓とびだしかけたみたいなのが面白かったくらいの話で、他には特筆すべき何事もない。ロム専の人らは、わざわざ参加しても特になんもないかもしれない。自分もあんまり意味なかったと思う。

 ただ、一つ言えることは、自分の同業種とかでもいいけど、いわゆるメディア有名人みたいな人らがいた場合、ツイッターだと現実より簡単に絡めるので、一定距離まで接近してみてどんな感じか相手の心魂を探るには使えるなと思った。自分はもう大分わかった。二度と近づかなくていい人を見分けられる。

 近い将来どう変わるかまではわからないが、現時点で、自分としてはツイッターはこの最後にあげた「この有名人どんな人?」って探り入れるのに一番使えるのかなと思う。そしてそれ以外でアフィカス的用法を勧めてるアカウントはよくあるが興味ない商売方面は除いて、あんま使い物にならないかなと思う。
 最近、ブログはダメみたいなのを商売人が言っている。それは彼らがユーチューブ広告収益だのツイッターだかノートだかでの情報商材売りの方が効率的とか言い出したからで、長文読まれないからって意味なんだろうけど、これはマス市場の話で、芸術からみると大して意味ない意見かなと思う。言語芸術単体でみたとき、俳句から長編小説まで長さは色々ある。媒体が紙だろうがブログだろうが、言語芸術の本体が揃っていれば、大した違いではない。
 なので芸術家としては、言語芸術の方をしっかり作っていれば、ブログがオワコンはマス市場と無関係なとき、意味がわからないだけの話である。

 アメーバピグとかいうサイトは、まあ9割方は2ch級のひどい目にあって終わるのだけども、残りの1割の方は相当貴重な、ここでいうのは憚られる経験もした。だがもしかすると人生も同じなのかもしれない。十分善良だったり賢明だったり美質をもつ人なんて全体の1割より少ないくらいじゃないだろうか。ツイッターも、同じ主観的なジップ法則みたいので理解しようとすると、1年やっても10年やっても、全体の1割以下くらいしか、これはといえる経験なんてないのではないだろうか。自分は参加してから随分やめようと思ったが、確かにこのサイトは9割うんざりする雑情報だから人生の無駄かもしれない。
 自分の1年間で、知的な刺激を受けたといえる場面は基本的に1度もなく、これは指摘してあげないと問題あるなというしかない(放置は公益に反する)箇所で嫌々ながら義務感で出動してばかりいて、正直いって辛いだけで全然面白くない。なんか指摘してくる意見も大抵が学術的におかしいし、意味がない。つまり、ツイッターは知性一般が、自分の基本水準からみてだが低いのである。集合知がどうとか言ってる人も偶にいるけど、この程度で集合知なんてちゃんちゃらおかしいかと思った。強いていうなら噂の井戸端空間くらいの感じだろう。それでも比較的ましなのをみようとはしてるんだが、幼稚さは確かだ。
 まあだからってアカデミズム(大学社会)だか学会社会が知性的だとも自分は余り思わず、それは彼らが定型的思考やら同業組合との馴れ合いしかできない様態に陥ってるからなのかもしれないけど、他方でツイッター的同調圧力空間が、アカデミズム同様、信用ならないのもまた疑いがないとはいえるだろう。
 結局、ツイッターに知性求めてる人なんてほぼいないだろうし、暇つぶしで馬鹿のさえずりみて見なきゃよかったと後悔してる高校生女とかいたけど(フォローの意味がない)そんなもんなのが凡愚の使い方でないだろうか。俗な意味ではインスタと大して変わらん。それで僕はツイッターあんま好きじゃない。