人は自分より劣った者と馴染んではならない。少なくとも己より優れた人のみと関わるがいい。人は親しむ者と似るからだ。
卑しい者を尊くしたり、愚か者を賢くできると思うな。生まれつき人の容姿が異なる様に、後天的に矯正できる範囲は限られているからだ。
卑しい者を尊くしたり、愚か者を賢くできると思うな。生まれつき人の容姿が異なる様に、後天的に矯正できる範囲は限られているからだ。
人のもつ全属性のうち、最も枢要なのは人徳だ。そしてこれなしにほかのどんな属性を鍛え上げていても結局は無駄か、時に有害でさえありうる。道具的知識にすぎないものを誇り、知者を気取りながら肝心の目的である道徳性に劣った人は、却って学のない人より軽蔑に足る悪行をしたり、往々にして自滅する。
容姿の美は若いうちにちやほやされ、そうでない者より優れた扱いを受けるものの、内面の美たる性格のよさを伴わない人は、あたかも花が枯れるよう時とともに急激に冷遇されていく。しかし性格のよさは最晩年まで価値を失わず、そこに知識量や経験則からくる徳が重ねられると、加齢がさも価値をます原因になる。
劣った者をひきあげるより、優れた者をさらに優れさせる方が遥かにたやすい。この意味で劣悪な者へ慈悲を向けても大した効果を伴わないだろう。
劣った者の価値観に合わせる者は自らもその一部になってしまう。理解者の多さはすなわち低俗さとほぼ同義であり、一般大衆と同じ趣味をもつのは卑俗さを自慢する様なものだ。実際、多数派がこの点で、優れた少数派より優っていることは殆どない。一般大衆の悪趣味さを基準にしているかぎり、人は月並より幸福になりえないだろう。