2019年9月14日

文化多元主義からみる日本国内、あるいは都庁前の水溜まりを泳ぐヤマメの話

「文化」という言葉を、あるひとが学術または芸能、娯楽と同義語か、それらを混ぜたいいかえとして使っている場合、そこでいう文化は原義として、全ての人々がもつ活動であるculture(カルチャー、耕し)の意味ではなくなっている。
 例えば京都市の世界文化自由都市宣言は、自文化中心主義の典型例だが、凡そ明治の東京遷都(奠都)以来、商業のみならず皇室含む政治都市の中枢も完全に首都圏へ移行した為、中華思想による近畿意識の担保を、上述でいう「文化」にあてはめる様になった合理化(いいわけ)の遺産に今日ではみえる。ここでいう「文化」を、耕し・カルチャーと区別するため仮に、しばしば非経済的かつ自己目的な自発的生産・消費活動の総称として「遊び」と定義する。またこの線形的にみれば不合理で無駄な活動は、カイヨワのいう遊びとほぼ同一の対象である。
 文化という言葉は今日、この遊びと、耕しの原義を混ぜて使われているので、使う人は自らの文脈に利するよう2つの意味のどちらかを択んでいるが、聴く側は別の方の意味で受け取っていることがある。例えば都民一般が「文化がない」と田舎町に向けいう時、主に風俗街(遊郭やクラブ等)、同人誌(猥褻漫画)頒布会場のなさなど卑俗な遊びのなさを指しているが、これらは悪所で無いに越したことはなく、一方田舎町は耕しの意味で美術館・図書館が充実した地方都市を差別されていると受け取っている。
 なぜこの様な二重基準による都鄙間の文化差別が特に日本国内に限ってあるかなら――それは主に東京圏・関西圏(特に京都市洛中)など都市民がその外へ行うもので、卑俗な遊びを誇って、現実には彼らよりずっと上品な田舎人を偏見で侮辱する差別なわけだが――皇室の愚かな中華思想を模範にしているからだ。

 海外の人々、特に英米仏伊など田園詩人・画家の系譜や、荘園貴族の伝統があったり、そもそも大草原の小さな家の開拓者意識にとって王族の支配していた古い都市部が退廃の象徴だったりする場合、田舎は肯定的な文脈でも語られるので、日本で頻出する都市中華思想による文化差別は、余りみられない。
 それどころか、皇室(天皇との自称は中国神話上の三皇の一人へのなりすましである)が模倣先にしていた当の中国でも、隠者文学や仙人哲学の系譜があって濁った世に入れられない聖者は、皇帝の支配した首都の官職を離れ、故郷で営農や読書しつつ田園詩を謳ったり、山奥へ逃れ仙境に遊んだ歴史があった。
 テレビタレントのタモリは、「ダ埼玉」(田舎い埼玉の略で、ベッドタウン化した旧武蔵国北部を門地・文化差別する造語)等の言葉で、この日本人間での単一文化主義、すなわち都心中華思想による異文化差別の代表的な原因になった。例によってその背後にある詭弁は遊びと耕しのダブルスピークである。

 また日本人一般によくみられるこの種の文化差別の一類型としては、「都会は遊びの種類が多い」との偏見だが、釣り、家庭菜園含む造園(庭いじり)、山中泊や川遊び含むキャンプ、磯遊び含む海水浴、或いは天体観測、昆虫採集、森林浴や浜辺、川べり、野原の散歩など田舎にしかない遊びは無数にある。
 確かに都会にしかない遊びもある。上述のよう芸妓とか男娼遊女は風営法もあれば公家化した世襲政治家や豪商など「お大尽」、または恋人も得られず堕落した下級労働者から需要がある都会の一部にしかいないだろうし、クラブカルチャーも総じて不良のたまり場なので、民度の低いスラムにしか存在しない。

 また単なる商品の点からみると、裏原宿とか下北沢みたいに隙間セレクトショップがおしゃれぶって田舎から出てきた若者相手にぼったくり価格で適当な服を売りつける場所はあるけれど、これだって地方都市に、価格比でも内容でもより良心的かつ場合によっては高品質で、よい意味で渋い服屋はあるものだ。
 そして服以外の買い物についていうと、都会中華思想による文化差別の偏見とは寧ろ逆の現象がある。アメリカ型の郊外型店舗が大店法撤廃で沢山できたので、郊外にはロードサイドショップが広大な売り場面積に大量の品揃えとともにわんさかあって、都心部のしょぼく狭く高い売り場では太刀打ちできない。そのうえこれらの郊外型店舗の周りには、家族連れで終末に限らず車に沢山品物を乗せて帰る買い物客が沢山くるから、回転寿司とかメガネ屋とか電器屋とか本屋とか、いってみればなんでもありの、お母さんが買い物中に僕はゲームみてくるみたいな、無限暇つぶし的大店舗商店街状態になっているのだ。
 アメリカでいうコストコかウォルマート、フランスでいうカルフールみたいなのの茨城版がジョイフル本田、千葉版がイオンとなっており、しばしばテーマパーク規模で熱帯魚、家具、ジーンズ、マクドナルド、看板、ゴルフクラブだのあり、日常の買い物の利便性は新宿ロフトより、車で駐車場停めれて高い。

 なにがいいたいかというと、東京人や横浜人が都外の世界を知らず、知ろうともせず、自分らは買い物でも便利だしとかいって近所のコンビニ行ってるだけなのに、そのコンビニなんて全国どこにでもあるのだし、スーパーまでの距離とか大店舗の新商店街の規模と質みたら都心部のが買い物は不便なのである。
 勿論、通販ならそもそも都鄙の意味がないので、現時点のウーバー出前を除けば都会の商品耕しに於ける優位性って、自分の知る限り殆どない。まじで僕は都内に10年くらいいたけど買い物が不便でしょうがなかったし、スーパーも田舎より高く品物の質も低いし、特に食の鮮度は全然違う。勿論産地のがいい。

 そしてこの論考の核心部に入るが、私が一番ここでいいたいのは、美術館や図書館のことです。これを高級な側の「遊び」一般の目安としましょう。まあもう少しいえば劇場・演奏場も入るのだけどこれは最後に回す。いわゆる地方交付金があるので田舎の方が、公共施設は立派なんですよ。知らないでしょ。それを知らないのは純粋都会人だけで、通常、田舎の方へ行けば行くほど公共施設は充実してくる。冗談抜きで村規模の自治体が、プール・サウナつき温泉旅館施設みたいなのとか運営してたのを体験した。調布市立図書館なんかいわき市立図書館と比べたら雲泥の差である。その上、田舎のが趣味が上質なのだ。
 まあここで田舎を過度に一般化してるきらいはあるが、なぜなら正確にいうといわゆる文化人がいた地域はどういうわけか公共施設の質が高いんだけども(多分自治体が誇って気張るのと、県から観光用に予算もらえるんだと思う)、原則としては地方交付金は過疎地のが多くもらえて、公共施設が贅沢になる。
 新宿で一番充実した図書が置いてある場所は、私は新宿区立図書館っていったことないけど、たぶん嘗てあったジュンク堂書店池袋本店だったと思います。私が間違ってなければ。今は紀伊国屋でしょう。
 これで法則が分かったと思います。都会は民間資本の方が強いんですよ。だが田舎は公共資本が強い。
 より正確にいうと、上述した郊外店舗がある地帯は、ど田舎と都心の中間地帯の濃淡のうち、凡そ比較的田舎町に近い田園部の、主には市街地と住宅地を繋ぐ非国道沿いの一角なことが多い。そしてそこは余り日本語で表現語彙をしらないのだが、地方都市と田舎町の間くらいの田園郊外である。ど田舎でない。
 この田園郊外をもっていて、しかも地方交付金が潤沢にもらえていて公共施設までも充実しているといった類型もあるので、田舎をひとくくりに語るのは難しい。そして過疎地でも色んな事情があって、都会人一般が田舎全てと思ってる様な本気で廃村になってる場所もあるだろう。けどこれは実は例外なのだ。

 何が申し上げたいか(書き残したいか)というと、私のみた世界の有様というのは、つづめていえば田舎の充実と都会のそれは、同じ土俵で比べ物にならない。別物だ。中間地帯には両者の美質を兼ね備えていながらその恵まれ方に気づかず、地域外人一般からの偏見に耐えかね自虐に耽るのもいるし、複雑だ。
 例えば私はいわゆる地元商店街が大店法撤廃(大店立地法制定、たぶん森内閣の時)で衰退し、代わりにジャスコができて客を奪いまくった癖に、久しぶりに故郷に帰ってきたら更地になってた時の憤りと虚しさは甚大だったのだが、今になってみるとそれがTHE商売だなと冷めた目で見えなくもない。全く同じことは、私が子供の頃からずっと田んぼ道だった場所に、Mの看板が突如立って、そこから続々とモンドリアンカラーの異物が大小ポコポコと建築学科での出来損ない学生が西沢立衛まねた模型みたく並んだ時はショックだった。心に傷をつけられた。しかし今になってみるとそれがTHE商売だとも思う。
 このTHE商売並の話は何も、毎日目に癒やしになっていた京王多摩川駅から歩いて行く途中にあった唯一の畑が、いきなり下らない建売住宅になっていた時のTHE西東京性に死ぬほど重畳的にあり、それは国木田独歩『武蔵野』から明治の江戸破壊始まって以来今更でもないと思うだろうが、田舎町も同じなのだ。
 23区内で生まれ育つともはや自然破壊に心を痛める繊細な感受性など欠片ももっておらず、一体なぜ、私があの京王多摩川4階建てマンションアパートもどきの3階の一部屋を択んだか、窓から桜の木がみえたからなのに、街道拡張で引っ越した年に或る朝おきたらなく、どれだけ嘆いたかなど知るよしもない。そして代わりに、彼らは渋谷ヒカリエだか新宿バスタだか、さもなければタピオカランドのサクラに駒沢公園で深夜に走ってる狂人の間でなり、やれ田舎は何もないとほざいているのである。勿論これは笑えない。なぜなら虚無なのはその都心、わけても皇居の中心*1(*1ロラン・バルトによる)なのだから。
 田舎になにもないといってる人間は、野原だの水田だのに一体どれだけの生物が非量的・質的に住んでいて、日々どんな歌をうたい誰と遊びどんな恋と闘いをして老いぼれ、どんな日常を送り、私の子供の目にどれだけ無限の絵本的世界のつくし草原物語として映っていたかなど、永遠に理解できないであろう。
 想像してもみ給え。あの東京(ここでは敢えて私のゲーム『もりのなかのみき』シリーズ上の首都概念としてトンキンとよませていただく)のどぶネズミ系赤紫色の空の下で、うかれそやし交尾撮影罪だの自慰だのしている云千万人がニンゲンの巣にこもる姿を。余りに密集しすぎて気持ち悪いと思わないのか。
 ニンゲンの巣が集まるにしたって、ソドムとゴモラを壊した神でないが一定の限度があるではないか。筑波山から見渡した平野に、ぽつりぽつり点々と人家の屋根がみえ、よしよしエライ田んぼを耕しているな、そこに住まう生命をも守れかし、と『常陸国風土記』の神気取りで国見しているのと全く別なのだ。
 そうであればこそ、東京タワーだの都庁だの、江戸タワーだっけ、スカイツリーか、のマドから、無限に連なる醜悪なニンゲンの巣をみて、うーん、灰色で酷い、となるのと、まあ感受性が違うんですよね。THE都会人はあれをみて美しいと思ってんでしょ。茨城や福島に原発おしつけて殿様気取りでギラギラ。

 まあ拡散してきたのでまとめると、私の市は海山川湖そして砂漠代わり砂浜があり、総じて自然に大変恵まれ都市も里山も田園もある。一種の自然と文明の箱庭空間といっていい。そこで子供の頃から色んな感覚磨いていると、親友が都庁前広場の噴水の流れ前で「ヤマメ入れたらいいのに」といえば、笑える。