この世にはどうでもいい様なことを研究している人達が大勢いて、その人達は偉そうな顔をして死んでいくのだが、実際にその人達の一生を省みても、やはりどうでもいい様にみえる。なぜその様な現象があるかなら学問が細分化され(文字通りの意味で科学化され)それらの殆どは道徳と無関係だからだ。
道徳は人がいかに生きるべきかのまとめなので、どの人にも無関係でありえない。ところがこれを研究する筈の後自然学も細分化され、哲学者と名乗る人々の過半は大学教授として単なる思想史家か中途半端な随筆家になり、その本来の目的である倫理をなおざりにしたままで死ぬ。彼らは職能がなかったのだ。
哲学は最初から最後まで、経験論として倫理道徳を語るものでなければならない。全学問の体系は、あらゆる反証的要素が否定しきれなかった最高善の元に秩序づけられる、個人経験の抽出でしかないからだ。