問い「時間から逃れることは可能か?」
時間は主観的には、光速度に対する認知の継起的経過と考えられるので、物理的実在を超え思考或いは感覚することはできない。つまり時間から逃れるのは人間の意識にとっては事実上不可能である。時間から逃れられるのは、物質が時間の完全に停止した引力が極大値の場にある場合のみである。
問い「芸術作品を説明することは何になるのか?
」
芸術作品は主観にとってそれ自体に複数の解釈の余地があるが、それを説明するのはそれら解釈の幾らかを他人に伝達する為である。この説明はある作品へ共通の部分を持つ、又は程あれ異なる解釈を他人に気づかせる。したがって芸術作品を説明する意味は、主観に複数の解釈を再反射させることである。
問い「道徳は最良の政策なのか?
」
道徳は広義で人類が実践すべき当為一般なので、少なくとも最高善に関する限り、そのポリシーは公徳と一致する。他の主観にとっての道徳が、自己のそれとずれている時、より高次の最高善がなければならず、さもなければいずれかの道徳が最良ではない。
問い「労働は人々を分断するのか?」
或る労働が資本主義の下にある時、経営目的に向け人々を協力させる。一方、個々の労働者は時間を仕事に拘束され(株主資本を含む)経営資本によって程あれ手段化される。したがって資本主義下の労働一般は個々の経営目的の違いで同時に分断される。社会・共産主義下では政府の目的にもより、同様。
問い「文化の多元性は、人類の一体性を妨げるのか?」
文化多元性(多様性、複数性)は相互に自文化にない観点に気づかせ、参照によって反省的な進歩のよすがになる。また異文化理解を通じ或る文化の価値観を相対化、客観視させ、自文化中心主義がもたらす諸々の自己中心性に陥るのを防がせる。したがって文化多元性は人類を反省的に一体化させる。