2019年8月29日

津田大介氏による皇室タブー表現をめぐる戦い

津田大介氏をめぐる政治的駆け引きはかなり興味深いけど、平凡な現代アートは全く興味を惹かない。この点であいちトリエンナーレ2019に於いて、「表現の不自由展・その後」の外にあった現代アート群は、美術批評的な本質で津田氏に負けたと思う。完敗だと思う。勿論、現代アートの本筋からすると実に些末な政治的トピックだから、下らないと一蹴する意見の方が美術批評の主流だろうけど、少なくとも政治的論争の種、特に天皇タブーを侵す極左ネタを完全に大炎上級まで仕込んだ手腕は評価すべきと思う。確信犯で大村愛知県知事とアートテロ企てたのは事実なので。

 現代アートは全く現実社会と遊離した、美大芸大卒凡才が上品ぶり親や行政といったパトロンの金でお遊びやってる赤字空間にすぎなくなっていたのを、津田氏は「表現の不自由展・その後」で背理法的に証明していると思う。つまりはコンセプチュアルアートも、政治も別次元の下らない世界だったのである。
 文化行政とかいう意味不明な言葉で、地域おこしのため芸術祭をやる、この枠組みは中途半端に分かりづらい現代アート、特にアースワーク系を高尚ぶって一般集客用に財政支出する目的だった。新手のケインズ政策だったのだ。そこに寄生し僅かなおこぼれに与ろうと美大芸大卒の赤字人間がたかっていた。芸術祭は食えない作家が売名する場、その為に安売りする場として集団就職式に行政から買い叩かれ、結局何も残せなかった。なぜなら競売を含む西洋の美術市場に類した代物が日本にはなく、銀座の画廊の様な全く別の国内ガラパゴス市場が小さくあるだけだからだ。不当廉売の結果が汚名。救われない。

 津田氏は最初の不公平な男女比同数コンセプトの発表時点で、少なくとも知性をもつ美術関係者から当然の如く批判されていたとき発狂し、すぐツイート消してたが美術関係者は全員死ぬべきなど暴言を吐いていた。その恨み分けは作家を犠牲にする表現不自由展やあいちトリエンナーレ2019全体に反映された。今後、あいちトリエンナーレ2019に参加していたと経歴に書く関係作家は、表現不自由展と凡そ無関係でも右翼全般を暗に敵に回す結果になるだろうから、単に作品ごとの報酬額でケチな行政から買い叩かれているだけでなく参加作家らは汚名まで着せられている。津田氏は自爆アートテロをした様なものだ。
 もっと興味深い点は、文化庁だけでなくトヨタを筆頭とする主な愛知県企業群が後援していたので経済界のメセナ自体を自爆テロ的に冒涜してしまった所だ。アドバイザーだった東浩紀氏も経営者だったろうに、この点、完全に無自覚だったと思う。今後彼らが閉鎖的な愛知財界から総スカン喰らうのは当然だ。
 愛知県は宗春以来、重商主義や実利志向(子供に複数の資格をとらせるなど)の傾向が強く、トヨタにもその気質は反映されているわけだが、当然、虚業に属する芸術に関しては後手に回っていて、そもそもあいちトリエンナーレもその劣位を企業メセナ慈善事業の建前で取り返したい悲願があった筈だろう。所が回を重ねるに従って段々と、愛知の気風に感染したか集客目的が激しくなった極点に、東京で有名なネットの人気記者、横文字で媒体活動家と名乗る「隠れ真性左翼」に白羽の矢を立ててしまった。彼が芸術監督として権力を一手に握ると本性を現し、天皇冒涜と思われる表現を確信犯で忍び込ませた。
 大村秀章氏は対応をみてると典型的な東大卒官僚出身の「よかれあしかれ」優等生で、事の深刻さに勘づくと保身を図った。東大論法式に表現自由を建前に訝しがる民衆といきり立った極右を煙に巻き、天皇冒涜展示を3日で撤去した。その後、責任転嫁のため調査委員会を立ち上げ津田氏を責める場にした。東浩紀氏もこれまた東大論法(監督辞任すべきとの意見を聞き入れられなかったなどいっていたが、問題は天皇冒涜を行政展の表現自由に、共謀しぶつけたというその遥か先にあるのだから論理のすり替えだ)で保身を図り、足早にアドバイザー辞任、知らんぷりを決め込むや津田氏と繋がった尻尾を切った。
 孤立した津田氏は表現不自由展実行委員会からも、炎上と検閲で迷惑被る各作家からも、大村知事からも突き上げを喰らい、その上ネット右翼からも真性右翼からも、県税で汚名着せられ脅迫受けてる愛知県民一般からも、嘗ての師からも、愛知企業からも総攻撃状態の中で謝罪文を書いた。激痩せしたと聴く(写真で見る限り全然痩せてないが)。あれだけ意気軒昂に津田氏の意味不明なジェンダー論(彼は社会的性差の意味でなく性別の意味で使っている)をツイッター上で擁護しまくり、どうみても男女不公平な男女比結果1:1のコンセプトで大歓喜、私を匿名で集団虐待していた津田フォロワー群はほぼ一様に押し黙り、彼を見捨てたみたくみえる。
 後1ヶ月ほど開催期間あるが、あいちトリエンナーレ2019は日本美術史の中では成功例とは書かれず、事件ではあるが表現検閲の一例になると思う。そしてこれを全面的に津田氏の責任にしたてあげている大村氏と東氏は、一言でいえば卑怯者である。彼らは明らかに意図して共謀したのに脅迫に屈したのだ。
 単なる小規模な地方自治体の行政展くらいなら余程奇特な極右が文句つけおおごとにしなければお咎めなしかもしれないが、事が国際展だったので天皇冒涜は右翼を煽る事件になると予見できるに決まっているし、現に通称「くねくね動画」でも、或いは大村氏への内容の事前通告でもできていた。炎上商法だ。表現不自由展に踊っている民衆は、行政を脅迫した右翼も、怒ったり悲しんだりした愛知県民も、津田氏らに計画済みの扇動されてるだけである。予定外なのは大村氏と東氏の裏切りである。元は津田氏が起点となり、表現自由の憲法の盾で、漸く日帝憲法をのりこえ、天皇批判をも可能にする企てだったのだ。
 津田氏は国際社会からみれば、政教一致の神道教祖が天皇(宗教権力者と裏政治権力者を兼ねた存在)と名乗って君臨し、表現に検閲を敷いているのを暴露するのは決定的な極左活動家の仕事だったのである。だから彼にしては父の志を継ぎ、命を狙われようが飽くまで検閲批判天皇批判を遂行する義務がある。いいかえれば津田氏からするとかなり強大な権力を握れた行政国際展の芸術監督の仕事は、千載一遇の機会だった筈だ。そこに彼が必殺技としてぶつけてきたのが、皇室の政教一致批判だった。ある意味予定されていた大炎上だったのだ。天皇の偽善と悪意、身分制差別、飛鳥時代から続く世襲独裁を裁くこと。
 天皇の先祖は弥生時代の時点で、恐らく弥生人の一部として大陸から移民してきたのだろう。やがて米を蓄財し奈良地方の豪族として成り上がり、自己神格化の多神教を遣隋使経由で輸入、自らを中国神話上の三皇の一人へ偽装した。今で言えば中二病極まった新興宗教じみたやくざ、暴力団長だった。その後、自ら中華皇帝を模した大化の改新から1374年あまり経っても、暴力団(警察も最大の勢力をもつ暴力団である)の総元締めたる地位にしがみつき、相も変わらず愚民愚官を自己崇拝させる殺人邪教で洗脳し続けている。津田氏が不自由展で批判的に暴いたのは、衆愚的な皇室権威・権力の邪悪さだった。無自覚な神道信者連中は、子供の頃から宮内庁2階に陣取る宮内記者会に検閲されまくった、テレビ政治の同調圧力で囲まれ、皇室崇拝を天地自然の理と思い詰めているので、津田氏の極左アートテロをみるや大発狂してしまった。そして脅迫や殺害予告などあらゆるいつもの殺人邪教徒ぶりを発揮しだした。

 現時点までのあいちトリエンナーレ2019、特に表現不自由展をとりまく流れは自分が見てた限りこんなところだが、恐らくだが天皇側もいつもの通りなんらかの手を回し(決して表沙汰にならない形で)愛知県行政に圧力を加えているか、その予定だろうし、津田氏が今後どうやって戦い抜くかに注目したい。
 沖縄タイムス(「「沖縄バッシングと似た構図」津田大介さん、混乱から見えたもの」2019年8月29日)の記事内で、大浦信行氏『遠近を抱えて』は天皇批判の文脈ではない、と津田氏は解釈している様だが、確かに富山県立美術館による図録償却を更に模倣するというプラトン画家論みたいな文脈が本筋にあるにせよ、婉曲的に、天皇タブーを皮肉ってるともいえる作品でもある。