2019年8月6日

愚劣な老人

金持ちになること、高学歴(少なくともここでは学位や、入試難易度が高い学校に入学した証で、知識を得ることではない)、一般大衆の間で有名になること、これらは現代の原罪だ。富、地位、名声。いつの世も俗物が魅せられるこれらの穢れに近づくほど負の面が同時に襲ってくる。つまり世の恨みが。
 あたかも虫が光に引き寄せられる様、俗物は富、地位、名声に近づき、燃え死ぬ。彼らの脳内にはそれらを好む浅ましい本性があるのだ。一様に即物的快楽を得るという目的しかない。だから聖人をみればわかるとおり、賢明ならこれらを全く離れ生きているべきなのだ。
 清貧で、学歴を抑え、無名であれ。

 この世にある知識を好む、特に徳を好むのは人々の恨みを買わない。なぜならこれは有限の資源ではなく、少なくとも金儲けの為に使わないかぎり共有財か公共財になりうるものだからだ。「知識は与えるほど増える」「徳を撒く者は誉れを得る」、ダビンチのいう後者は徳の非排他性を示している。
 卑しく浅ましい本性の持ち主、即ち俗物は、己が世人を見下すため有限資源を独占したがる。彼らは生前、喜捨以外で決して救われない。
 幼児にして多少あれ性悪な者とそうでない者の違いをみると、さもその種の遺伝子があるかの様だ。利他性に遺伝要素がどれ程あるか、研究されねばならないだろう。

 死を望まれるだけの愚劣な老人をみると、ダビンチがいかに正しかったかよく分かる。